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日本古典 平安時代 「藤原行成」 

972年−10年
行成の家は藤原北家であり、名家だった。しかし、後ろ盾となる祖父や父を早くに亡くし、その為か、行成は出世に著しく不遇であった。しかし、その後、天皇の秘書官である蔵人を束ねる長官、蔵人頭に抜擢される。
それ以降、文化人、また政治家として存在感を高め、晩年には正二位按察使権大納言まで登り詰める。

行成の日記「権記」には、夢で小野道風に会い、書法を授けられたと記されている。
平安時代の小野道風・藤原 佐理と並ぶ「三跡(蹟)」の一人とされる能書(書の巧みな人)でした。
日本風の書である上代様(和様の書)を大成させた人であり、また平安から鎌倉時代に流行する書流・世尊寺流の始祖となった。

代表作品は「白氏詩巻」、「本能寺切」

伝藤原行成「升色紙」玄妙臨
伝藤原行成「升色紙」玄妙臨 拡大



・伝藤原行成 升色紙
料紙がほぼ真四角で升のような形から名付けられた。
「継色紙」「寸松庵色紙」とともに三色紙の一つに挙げられ、平安時代を代表する名筆。三十六歌仙の一人、清原深養の歌集「深養父集」を書写し、元は冊子本で、切断されたもの。
〈読み〉
者那(はな)春(す〻)幾可世二(きかぜに)なびきて美多留(みだる〻)盤(は)武春(むす)びお幾(き)てしつゆやとくらん

・玄妙個展2021「古典漫遊〜文字の変遷をたどる〜中国編」
・玄妙個展2022「古典漫遊 中国書法から日本の書まで文字の変遷をたどる」
・玄妙個展2023「古典漫遊 中国書法から日本の書まで文字の変遷をたどる」

墨玄会 主宰 玄妙 


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