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中国古典 明時代 「文徴明」 

1470年―1559年没
文徴明は、明代に活躍した文人で、江蘇省蘇州の出身で、名門の家に生まれました。初め名は壁といい、後に字の徴明を名乗り、字は徴仲としました。号は衡山で、また官名から文待詔とも称されました。
幼少の頃、言葉が遅く利発ではなかったが、父の友人で当時超一流の人物を師として学ぶことができました。にもかかわらず科挙に失敗し、その後も何度も受験しても及第(合格)することはありませんでした。それでも徐々に才能を発揮し、輸林待詔に推挙され、国史編纂に貢献しました。しかし、彼は官界生活になじめず、故郷の蘇州に戻り、文人たちと交流し文芸三昧にふけり、その中心的存在として活躍し、九十年の生涯を終えました。

彼は高潔で温順な人柄で、酒や賭博、贅沢をせず、文人としての誇りを貫き、王侯貴族や宦官、推して外国人には決して書画を売りませんでした。一方で、貧しい人々が彼の贋作を作って売ることは容認し、その者が救済されるならば構わないと考えていました。
文徴明の若い頃は、書が下手だったようで、努力を重ねることで才能を開花させた晩成型の人物でした。書を徹底的に学び、最終的に自身の筆意を得ることができました。
最初は宋や元の書を学び、後に晋唐を手本とし、小楷では王羲之、隷書は鍾繇を師法しました。歳を重ねるにつれて、彼の小楷はますます厳粛で精巧になりました。彼の作品には、独創性や強い個性を見られませんでしたが、多くの人々が彼の書画を求めて殺到し、その名声は海外まで広がりました。

詩や書画に優れて三絶と称され、書においては祝允明、王寵とともに「呉中の三大家」、画では祝允明、唐寅、徐禎卿らと「呉中の四才子」と評されました。

文徴明「行書詩巻」玄妙臨

〈行書詩巻〉
【口語訳】
短簿祠の前、木々は鬱然とわだかまり、生公台の下、石はそびえ立つ。千年の精気を蔵する池中の剣、谷中に風や煙はこもる寺の中の山。井戸はすんで陸羽泉の茶はためすことができて

・玄妙個展2021「古典漫遊〜文字の変遷をたどる〜中国編」
・玄妙個展2022「古典漫遊 中国書法から日本の書まで文字の変遷をたどる」
・玄妙個展2023「古典漫遊 中国書法から日本の書まで文字の変遷をたどる」

墨玄会 主宰 玄妙 


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