日本古典 江戸後期時代 「良寛」
1758年―1831年
禅僧。越後出雲崎に生まれ、詩人・歌人・書家としても知られる。
良寛は俗名、号は大愚。幼名は山本栄蔵、のち文孝と名のる。
無欲恬淡な性格で、生涯寺を持たず、粗末な草庵に住み、名利にとらわれない生活を送る。清貧の中で生けるものへの愛を失わず、子供と戯れ、友と語り、酒を好み、和歌や漢詩を詠む、書に優れた托鉢僧だった。
「子供の純真な心こそが誠の仏の心」と解釈し、子供達を愛し積極的に遊んだと云われ、高名な人物からの書の依頼を断っても、子供達から凧に文字を書いて欲しいと頼まれた時には喜んで書いたと云われている。
その書は、純真で高貴な精神が生き生きと表れ、見る人の心をなごませる。
楷書は陶弘景・黄山谷、草書は懐素・王羲之・孫過庭・尊円親王など、仮名は小野道風の「秋萩帖」を学び、古典の書法を数多く体得している。
一気呵成に自由に揮毫しても、決して上滑りせず、また書法にとらわれることなく、自由に自分の感性で新たな世界をつくり出している。
最晩年の書は、まさに絶妙の美そのもの。内に無限の妙なる余韻を秘めた気品高い精神的な世界を醸し出している。
・白雪羔
〈読み下し文〉
「白雪羔(こう)少々御恵たまはりたく候 以上 十一月四日 菓子屋 三十郎殿 良寛」
出世の願望がなく、人々の施しから日々の糧を得ていた為、良寛の書状には、酒、餅などを送られた折の礼状が多数残っている。
この書状は、死を翌年に控えた頃、菓子屋にあてた手紙と推測されています。・玄妙個展2021「古典漫遊〜文字の変遷をたどる〜中国編」
・玄妙個展2022「古典漫遊 中国書法から日本の書まで文字の変遷をたどる」
・玄妙個展2023「古典漫遊 中国書法から日本の書まで文字の変遷をたどる」
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