中国古典 清時代 「趙之謙」
1829年―1884年没
之謙は、浙江省紹興の裕福な家に生まれましたが、その後家業が傾き、生活は困窮しました。彼は書画や篆刻の道を選び、生計を立てながら勉学に励みました。
科挙の地方試験である挙人に合格しましたが、太平天国の乱により妻子を亡くすという悲劇に見舞われます。傷心のなか、再び科挙試験を目指して北京へ上京。そこで文人たちと交流し、金石学に深くのめり込みました。古今東西の書画作品を鑑賞し、自らも作品制作に励む中で、彼の芸術は大きく成長しました。しかし、科挙には何度も失敗し、官僚の道は閉ざされました。その後は、地方官吏を歴任しながら、郷土の歴史をまとめる仕事にも携わりました。過労のため、若くして世を去りました。
趙之謙の書は、初期には顔真卿という書家の書風を学んでいましたが、北京で金石学を学んだことをきっかけに大きく変化しました。特に、包世臣という書論家の「逆入平出」という理論を独自に解釈し、独自の書風を確立しました。彼の楷書は、楷書と行書の中間のような新しい書風で、「北魏書」と呼ばれています。
篆刻では、秦漢時代の篆刻を深く研究し、その伝統を継承しながらも、単なる文字の刻印にとどまらず、まるで絵画のような深みと表現力を持っています。篆刻を通じて、自身の感情や思想を表現し、近代的な篆刻を開拓しました。
絵画では、水墨画の伝統を踏まえ、書道と絵画を一体のものとして捉え、独自の画風を確立しました。
趙之謙の作品は、その独創性と力強さで、後世の芸術家に多大な影響を与え続けています。近代芸術家の呉昌碩や斉白石も、趙之謙の作品から大きな影響を受けた一人です。
〈隷書張衡霊憲四屏〉
後漢時代の張衡の著とされる『霊憲』の一節
【釈文】
素之先 幽清元静 [寂寞]冥黙 不[可為]象 厥中惟霊 厥外惟無 如是
【口語訳】
宇宙の開闘以前は、奥深く物静かで、寂真として暗く音もなくかたちをなすことができなかった。その中はただ霊 その外はただ無し。
・玄妙個展2021「古典漫遊〜文字の変遷をたどる〜中国編」
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