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日本古典 幕末・大正時代 「日下部鳴鶴(くさかべめいかく)」

1838年〜1922年。
書家。近江彦根藩士。旧姓田中。のちに日下部家の養子となる。名は東作、字は子暘。号は鳴鶴、翠雨など。
明治から太政官大書記となったが、後年は書をもって身をたてた。

書は、はじめ巻菱湖や貫名海屋の書風を学び、次いで来朝した楊守敬の影響を受け、巌谷一六らとともに金石学や漢魏六朝の書法を研究。廻腕直筆の用筆法を修得し、六朝書道とよばれる新書風をうちたてた。
のち清国に渡って古法を極め、深い学識と高古な人柄によるその書風は鳴鶴流と呼ばれ、一世を風靡した。現代書道界(唐様)発展の先駆者として、その功績は高く評価されている。

代表作は多く、「大久保公神道碑」「津田永忠碑」などがある。

日下部鳴鶴「津田永忠碑」玄妙臨


・津田永忠碑
江戸幕府 池田藩(岡山)の家臣津田永忠の功績(治水などの地域開発事業や文化事業)を称える碑
〈読み下し〉
君、二世に歴仕し、職に在ること五十年、贊翼(さんよく)の功績は枚擧に遑(いとま)あらず。社倉を設け以て凶荒に備へ、節儉條法を頒ち

・玄妙個展2021「古典漫遊〜文字の変遷をたどる〜中国編」
・玄妙個展2022「古典漫遊 中国書法から日本の書まで文字の変遷をたどる」
・玄妙個展2023「古典漫遊 中国書法から日本の書まで文字の変遷をたどる」

墨玄会 主宰 玄妙


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