中国古典 南宋時代 「陸游」
1125年―1210年没
陸游は南宋時代の詩人で歴史学家。号は放翁、字は務観と称されました。越州山陰(浙江省紹興)の出身です。
陸游は中国で有名な詩人でしたが、彼の優れた書についてはあまり知られておらず、書の学術書にわずかに記されている程度です。
彼が生まれたのは、淮河の岸辺につないだ船の上でした。母親は流行作家の秦観(宇は少游)の夢を見たことから、彼を「游」と名付けられました。また「務観」という字も秦観の名にちなんで「観ることに務める」という意味を込められています。
陸游の生涯は平穏ではなく、左遷や職を解かれる経験を繰り返しました。晩年には俸禄も途絶え、生活は苦しいものでしたが、彼は北宋の奪われた地を金軍から奪還するという志を持ち続けました。
陸游の人生で重要な出来事の一つが、最初の妻である唐婉との関係です。彼の母親は二人を離縁させました。彼はやむを得ず唐腕を追い出しましたが、彼女の為に別邸を借り、未練深くそこへ通いました。しかし、最終的に二人は別れ、それぞれ別の人と再婚しました。
後に彼は一度だけ「沈園」で唐婉と再会し、晩年まで彼女への想いを詩で綴りました。彼女の存在は彼の心に大きな影響を与えました。
〈自書詩巻〉
【釈文】
渡頭 蒼檜丹楓古渡頭。小橋横處繫孤舟。范寬只恐今猶在。寫出山陰一片秋。
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