見出し画像

黄土高原史話<37>「松柏の茂るが如く」と祈りしも by 谷口義介

 歌人の道浦母都子さん曰(いわ)く、「あちこち散歩するときや、地方へ講演などに行くおりは、植物図鑑は必携」と。草や木の名をそのつど憶えて、歌作りに役立てる由。言われてみれば、『無援の抒情』以降、たしかに植物名がふえてきて、一首の中に白木蓮と枝垂(しだ)れ桜と菖蒲(あやめ)を詠み込んだ例すらも。
 対照的なのは三島由紀夫。概念つまり文字面(もじづら)だけでしか「松」を知らず、人に実物を教えられて、「これが松なの」と言ったとか。この話ホントだとすれば、さすが三島!
 数年まえの9月上旬、黄土高原は涼秋の候、緑が回復した霊丘自然植物園の樹下の草花。名はリンドウしか分りませんが、紫の濃さは今でもまぶたに鮮明に。
 「柏」が節句の柏餅をつつむ広葉のモチカシワではなく、むしろヒノキの葉に似たコノテガシワであることは、黄土高原に来て初めて知った。今名は「側柏」、学名をThuja orientalis L.という。中国の西北部および華北に原産。ところが、柏にはもう一種あって、今名「柏木」、学名Cupressus funebris Endl.といい、華北~華中平原に分布する。
 ワーキングツアーで主に植えるのがアブラマツ。潘富俊『詩経植物図鑑』(上海書店出版社、2003年)は、『詩経』に出る「松」を今名で「油松」、学名Pinus tabulaeformis Carr.とする。ところが、同じ著者の『楚辞植物図鑑』(同社、同年)は、『楚辞』に見える「松」は今名「馬尾松」、学名Pinus massoniana Lamb.と同定。そもそも中国には、赤松・黒松・白皮松・崋山松など22種10変種があり、形態がよく似ているので識別が難しいらしい。だいたい「油松」は黄河流域各省の山岳地帯と四川省に、いっぽう「馬尾松」は秦嶺山脈以南、淮河・漢水流域と雲南・両広に分布するそうだ。
 しかして『詩経』は黄河中・下流域の古代歌謡集、『楚辞』は楚(湖北省)の屈原・宋玉らの辞賦を集めたもの。だから、華北の『詩経』に数見する「松・柏」とは油松と側柏、いっぽう華中の『楚辞』に見える「松・柏」は馬尾松と柏木ということに。
 いずれにせよ、松と柏は冬なお凋(しぼ)むことなき常緑樹。そのため、長寿をことほぐ吉祥の木とされた。
  南山の寿の如く  騫(か)けず崩(くず)れず
  松柏の茂るが如く  爾(なんじ)を承(う)くる或(あ)らざる無し
 『白川静著作集』第9巻(平凡社、2000年)の月報に私は一文を寄せ、『詩経』「小雅」天保(てんぽう)の末節いわゆる「南山の寿」をかかげて、恩師の寿康を祈った。このとき先生は90歳。その後も矍鑠(かくしゃく)として『著作集』全12巻を完成され、別巻18冊も陸続刊行された。しかし昨06年10月30日、わが生涯の師は忽焉(こつえん)として長逝された。嗚呼、悲しい夫(かな)。(一周忌のご命日に識(しる)す)
(緑の地球118号 2007年11月掲載)



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?