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黄土高原史話<11>カササギはめでたき鳥と古詩にいふ by谷口義介
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2000年、GENが立ち上げたプロジェクトXが“カササギの森”計画。
大同の技術者の希望とツアー参加者の要望がマッチして実現しました。
大同県聚楽郷で、約600haの土地の50年間使用権を購入。
谷底には細い流れがあり、ポプラやサージが自生。高いところは、標高1,400m余(遠望すれば点々と明代のノロシ台、足もとには各時代の土器片が散布)。
この直営林場だと、成果を焦らず気兼ねせず、「草を茂らせてから木を植える」こともできますし、これも直営の霊丘自然植物園から持ってきた落葉広葉樹のタネなどをまいて、試験栽培することも可能です。
ではなぜここは“カササギの森”と命名されたのでしょう?
愛称を募集した結果だそうですが、名付け得て絶妙。
カササギはカラス科の鳥ですが、カラスよりやや小さく、尾は長く、黒と白とのコントラストも鮮やかな愛嬌者。中国語では普通「喜鵲」といって、縁起のよい鳥とされています。語順が逆の「鵲喜」も、喜ごと・慶事の意味。
「鵲橋」つまりカササギ橋というのは、七夕の夜、織姫が恋人に会いに天の川を渡るとき、たくさんのカササギが並んで橋になった伝説から。“カササギの森”は、まさしく日中友好の掛け橋。
北中国では、村落付近の喬木に大きな巣を作り、よく目にする鳥ですが、3世紀中頃倭国を訪れた魏の使者は、「その地に牛・馬・虎・豹・羊・鵲なし」と報告しています(『魏志倭人伝』)。
今では佐賀平野に生息して、県の鳥にも指定。チョウセンガラス、コウライガラスとも呼ばれますから、朝鮮半島から来たのでしょう。
カササギといえば、嫌でも耳につく悪声。それでも中国では、「鵲報」といって、カササギが鳴くのはよい知らせ、と信じられているとか。
では、いつ頃からカササギは縁起がよいとされたのか?
三国鏡あたりから急に鳥の図柄が多くなりますが、それはおそらく文献にいう「鵲鏡」。カササギの文様が吉祥の意味をもっていた証拠でしょう。
さらに遡ると、古代歌謡集『詩経』の召南(洛陽付近)の「鵲巣」という詩。西周時代後期、結婚の祝頌歌です。
これ鵲に巣あり、
これ鳩これに居る。
この子ここに帰(とつ)ぐ、
百両(輌)もてこれを御(むか)う。(第一章)
「鳩」はハトではなく、鳩つまりカッコウ。自分では巣を作らず、ほかの鳥の巣を拝借するというチャッカリ者。その習性を嫁入りの祝い歌として利用したのでしょう。
カササギはめでたき鳥と古詩にいふ
黄土台地に森ぞ創らん
(02年3月28日、カササギの森にて)
(緑の地球89号(2003年1月発行)掲載分)