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環境問題と環境史~今と過去とをつなぐこと by 村松弘一(GEN世話人)

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 三国志に興味をもって中国史に足を踏み入れた私が、なぜ環境史を研究するようになったのか。インターン生のインタビューをきっかけに、あらためて考えてみました。
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 先日、GENにインターンとして来てくれている大学生の小林さんのインタビューを受け、Note「私の環境研究ことはじめ」としてわかりやすくまとめてくださいました。当該サイトを是非、御覧下さい。https://note.com/genmerumaga/n/n7e93b094e0cd
 記事を読んでみると、三国志の時代に興味を持っていた私がどうして環境史を研究するようになったのか、インタビューできちんと説明していなかったなあと気がつきました。ここで、補足の説明をしておこうと思います。

 私が大学に入学したのは1990年のことです。天安門事件の翌年ということになります。はじめて中国に行ったのは1992年2月、ちょうど、鄧小平が南巡講話をした時でした。これ以降、改革開放路線に拍車がかかります。世界に眼を向ければ、ベルリンの壁の崩壊からソ連の崩壊へと怒濤のように国際社会が変化する時期でした。日本ではバブル経済が崩壊し、長い停滞期に入るころ、1995年には阪神淡路大震災やオウム真理教の事件もありました。安保闘争や学生運動のように自ら直接、政治や社会と関わった団塊の世代の皆さんとはちがって、自分自身が何かをしたわけではありませんが、ブラウン管の映像を通じて、日本や世界が大きく変わっていることを感じる時代だったようにも思います。

 さて、私はそういう時代に大学に入り、自分の好きな中国史の勉強をしていました。歴史研究というのはともすれば、昔のことだけを考えていればよい、趣味の延長にある学問にみえるかもしれません。しかし、無限にある、過去の人々が残した史料のどこを切り取り、どのようなストーリーを組み立てるかは、現在の私たちに委ねられています。つまり、現在という時代に話題、問題になっていたことが歴史学のテーマになるわけです。

 インタビューの後、大学生の頃、「民族問題」「宗教問題」「環境問題」という当時の3つの「問題」が歴史のテーマになると歴史系サークルの同人誌に書いていたことを思い出しました。民族問題はそれ以前にも、各所に存在していましたが、冷戦以後の大国の衰退のなかで、東欧諸国の崩壊から発したユーゴスラヴィア紛争やアフリカのルワンダやソマリアなど、民族浄化や虐殺というかたちで顕在化してゆきました。1991年の1月に開戦した湾岸戦争は石油を求める争いであるとともに、イスラーム世界とキリスト教世界の「文明の衝突」とも言われ、それは紛争地域を変えながら現在まで続いています。日本ではオウム真理教や統一教会、中国では法輪功などもこの頃からの現在まで続く宗教の問題と言えます。そして、三つ目が「環境問題」です。1992年にはリオデジャネイロで地球環境サミットが開催され、この年は石弘之さんの『酸性雨』(岩波書店)も刊行されました。沙漠化も問題になって、中国では一年間に神奈川県の大きさの沙漠化が進行していると言われました。緑の地球ネットワークが活動をはじめたのもこのころになります。「民族問題」「宗教問題」「環境問題」は個別にまた相互に関係している問題群です。私はこのなかから特に環境の問題に興味を持つようになって、自分自身で環境史の研究に入ってゆくことになります。それがその後、GENとの関わりを持つきっかけになったわけです。

 以上の説明でいかがでしょうか。何の気なしに生きていた大学生の頃、その時代に感じ、考えたことが、その後の人生に関わっていくこともある、そんなふうに思います。大学生が2024年の現在の社会・世界に対してどんなことを感じ、考えているのか、インターンのみなさんにもお聞きしたいところです。
 
 

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