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人は変わるもの、人と人との関係も変わるもの by 高見邦雄(GEN副代表)

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 黄土高原での緑化協力事業のなかで、私たちは緑の絵を地面に書いてきましたが、それと同時に人と人との関係を変えてきました。それができたので、植えた木が根付いたともいえるでしょう。
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 あえて名をだしませんけど、大同のカウンターパートの中心の一人が私に、「日本との協力事業を担当することになったとき、いやでいやでたまらなかった」と話しました。理由は「歴史問題」です。といっても私よりずっと若いので、自身の直接の体験ではありません。
 
 その人の母方の祖父は手広く家業を営み、大同の中心部近くにかなり大きな邸をかまえていました。春節(旧正月)を控え、大掃除をすませ、窓に切り絵を飾って、迎春の準備を終えたところに、日本兵がやってきて、この家を接収するので即座に出て行くよう命令したそう。一年のうち一番寒い時期です。
 
 そんな話を母親から繰り返し聞かされて育ったので、日本への反感はとても強かったそう。当然でしょうね。そして木を植えたって、着くはずはないと最初は考えた。
 
 気持ちが変わったのは緑化協力のためにやってくる日本人と実際につきあうなかでです。自分が想像していた日本人とまったく違って、気持ちのやさしい、いい人ばかりだったといいます。
 
 そして、自分たちの植えた木がちゃんと育ちはじめたのです。武春珍さんがよく「木を植えて育てるのは子育てといっしょです」と話していましたけど、その人も同じ気持ちだったのでしょう。黄色い荒れ地だったところに、緑の林が広がっていくのがとても誇らしくて、これは単なる仕事ではなく、自己を実現することだと思うようになったそう。その人の働きがあったから、この事業は成功したのです。
 
 2011年の東日本大震災・大津波のあと、協力事業を実施した農村を中心に、大同の各所から自発的に義援金が寄せられました。小学生たちも自分のお小遣いを先生に託したのです。それがとてもうれしかったと、その人は話しました。
 
 人は変わるし、人と人との関係も変わるものなんですね。大同で私たちはたくさんの木を植えましたし、それらの木はこれからも育っていくでしょうけど、それ以上に大切なのは、この人と人との関係をいい方向に変えてきたことかもしれません。
 
 今年は日中国交正常化50年の節目の年です。いくつかの中国メディアの取材を受けたり、原稿を寄せたりしていますが、そのひとつ「澎湃新聞」から、「50年50人」という特集の記事になったと連絡がありました。独立系メディアのなかで影響力の大きいところだそうです。
「澎湃新聞」記事
https://www.thepaper.cn/newsDetail_forward_19955362?fbclid=IwAR34YV7vaBz3O2KYdJ8JFGsYGCRRB7ioOfJNQifefs3R3uHGhIsabfxlICw
 動画と記事とでできています。最初の浸食谷の写真の右下にある矢印をクリックすると動画が始まります。動画は私たちが撮影したビデオと高見のインタビュー(もちろん日本語)からなっており、記事は中国語で長文です。
 


 その浸食谷の同じ場所(大同県徐町郷)の2016年の写真をつけておきましょう。これを撮っているところに「護林員」の腕章をつけた男がバイクでやってきて、「ここの松は日本人が植えたんだ」とジマンそうに話してくれました。覚えていてくれたんですね! うれしかった。


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