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1994年大同はじめての農村部 by 前中久行(GEN代表)

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前回の第006号に続いて初期の大同の印象です。高見邦雄さんから現地をみて緑化の技術的アドバイスが欲しいと依頼がありました。農村部をまわり実際に黄土と“対面”しました。水がなければ当然緑化はできませんが、黄土は水があればあったで別の問題がおきる難しい土だと実感しました。
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 8月に、立花吉茂先生、遠田宏先生とともに大同を訪れました。
 大同では作物は内蒙古とくらべるとよく生育していました。僅かながらも雨量が多いためでしょう。一見したところ問題があるようには思えませんでした。しかし集落へ入ると作物の生育の良さが家計の豊かさに結びついているようにはみえません。放牧と耕種という主体となる農業形態の違いが関係しているように思いました。学生の時に中尾佐助先生の講義で、「放牧は家畜がかってに草を食って大きくなって帰ってくるので手間がかからず労働生産性が高い」と聞きました(この話以来私は放牧に憧憬をいだき結果として半乾燥地の緑化と関わることになったのかも)。それに対して耕種農業では耕耘、施肥、種まき、除草、収穫、運搬とすべて人手にたよっています。機械化があまり進んでいなかった1994年の大同ではなおさらだったでしょう。このため労働力を確保するために人口密度が高くなるのではと思いました。また羊毛や皮革などの対外的経済産品と当時はまだその傾向が強かったと思われる自給的食糧生産地との差も関係していると思いました。

 黄土に実際に触れたのもこの時でした。大同は山地の上部は岩石、裾野から盆地は黄土の堆積という地形です。ツアー団が盆地から次の盆地へ山越えする時の風景は、水不足に立ち向かう人々を描いた映画「古井戸」の背景風景そっくりです。渾源県南楡林郷東圪垞鋪村は山越えの途中にありますが井戸は集落から離れた涸れた河の中にありました。上流側は石でがっちり守られています(写真)。飲み水の確保が生活の基盤であるという厳しい現実を実感しました(最近は高速道路を通るのでこの井戸はみえませんが空中写真アプリでは今も存在しています)。

 乗っていたマイクロバスのタイヤがパンクして修理する間に、横の畑で露出していた黄土の垂直断面の観察ができました(写真)。

地表近くは水を含んで黒っぽくみえます。ところが深い部分はまさしく黄土色でカラカラです。深いところまで浸透するほどの降雨量はないのです。日本列島では十分な雨が降るので下層の土が乾くことはないでしょう。細かくみると地表面近くに白い結晶状のものがあります。黄土は粒子が細かいので表面が乾くと下の湿った部分から水と塩類が毛細管現象で上昇し乾いて塩類が集積します。高い塩分濃度は植物の生育に悪影響を及ぼします。塩害の発生です。地下深くまで水が浸透するまでの降雨があれば塩類は洗浄除去されます。しかしそのような大降雨はめったにありません。塩分除去がされないのは残念ですが、なくて幸いな面もあります。もし大降雨で下層部まで水が浸透すると、黄土が膨潤となり固結力がなくなり泥流化する恐れがあります。黄土は大変な土だと実感しました。



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