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年間降水量400㎜ラインのグローバルヒストリーを考える(序章)~黄土高原緑化の意義を考えるために by 村松弘一(GEN世話人)

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 黄土高原は年間降水量400㎜ラインにあります。それは農耕の民と遊牧・牧畜の民の境界線でもあります。試みに世界地図でこのラインをみると、現代に至るまでの紛争の場と一致します。それは何を意味するのか。世界から黄土高原緑化の意義を考えます。
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 来る6月15日、GENの総会にて講演をさせていただくことになりました。「グローバルヒストリーのなかの黄土高原」と大風呂敷を広げていますがどんなストーリーを展開するか考えています。毎度のことなのですが、話の枕で、黄土高原が年間降水量400㎜ライン上、すなわち、農耕の民でも遊牧・牧畜の民でも生活できる境界線にあること説明するつもりです。今回は「グローバル」と名打ってしまったので、試みに“WorldClime”というサイトのデータを使って、地球全体の図で400㎜ラインを赤い点線で示してみました(写真1参照)。それを見ると、なんと、このラインには、現在に至るまでの国際紛争の現場が分布していることがわかります。

 まずは、ヨーロッパに目を向けてみましょう。東部には現在もロシアが進行し、戦争が続くウクライナがあります。ここは、前7世紀~前3世紀までは遊牧民のスキタイ人が住む土地で、紀元後4世紀には中央アジアから遊牧民フン族が侵入し、それと連動して発生したゲルマン民族の大移動によって、ローマ帝国が分裂・滅亡しました。13世紀にはモンゴル帝国のジュチの一族のバトゥが侵攻し、キプチャク・ハン国(近年では「ジュチ・ウルス」とも言います)を建国します。まさに、歴史上、この地は遊牧と農耕の抗争の場であったのです。ヨーロッパの西部、イベリア半島では北アフリカからイスラーム勢力が侵入し、長期にわたって支配しました。これを排除する運動がレコンキスタ(国土回復運動)で、1492年に完了しましたが、その後、戦いの場を失った軍人たちは新大陸へと渡り、アメリカの古代文明を滅ぼすことになります。

 西アジアへ目を向けると、現在もガザ地区へのイスラエルの攻撃が続くパレスチナも400㎜ラインにあります。出エジプトやバビロン捕囚、キリストの処刑、十字軍など紛争の歴史には事欠かない地区ですが、イスラエル建国前は農耕の民(ユダヤ)と遊牧の民(アラブ)は一時的に共存している時期もありました。紛争は環境要因と政治要因が複雑に絡み合って起こるのかも知れません。チグリス・ユーフラテス川のほとり、メソポタミアのイラクもこのラインにあります。遊牧民のイラン(ペルシャ)人やトルコ系のクルド人とこの肥沃な大地を求めて紛争を繰り返しました。現代はそこに欧米の資源獲得競争が加わり、より複雑化しています。

 アフリカを見ると、ナイルの上流、400㎜以下の北部のスーダンにはイスラーム教徒が多く、400㎜以上の南スーダンにはキリスト教徒が多く住み、両者の抗争は続いています。イスラームは沙漠のなかでできた宗教ですから、遊牧・牧畜の民と農耕の民の争いは宗教戦争や民族戦争にも見えることになります。中央ユーラシアを見ると、アフガニスタン付近も400㎜ライン上にあります。ここも近年のアフガニスタン戦争に至るまで紛争は絶えません。紛争によって大地を荒らされ、貧困を生みだし、さらに、争いが激化する、そういった歴史の場と言えます。

 では、東アジアの黄土高原はどうでしょうか。秦漢帝国と対峙した匈奴や羌、北魏を建国した鮮卑、そしてモンゴル帝国など、歴史上、黄土高原は遊牧・牧畜民と農耕民の紛争の舞台でもありました。現在はどうでしょうか。大同、蔚県に行かれた方はみなさん安全なツアーを体験されたかと思います。黄土高原は大きな紛争の場にはなっていないのです。1990年代、沙漠化の進行を緑化で食い止め、貧困を乗り越えたことが背景にあるのかもしれません。そうならば、32年間にわたるGENの黄土高原での緑化活動が「400㎜ラインの紛争」を防いだと言えるかもしれません。ちょっと、大げさでしょうか。

 さて、これは講演の序章にすぎません。これからどのような話を展開するのか。気になる方は、是非、総会にお越しください!もちろん、オンラインご参加でもよいですよ。では、総会で会いましょう!

※編集部注:村松弘一さんのGEN第30回総会記念講演「グローバル・ヒストリーのなかの黄土高原 大同・蔚県・五台山から世界を眺める」は2024年6月15日(土)に終了いたしました。動画はこちらからご覧になれます。
https://www.youtube.com/watch?v=Gl3QIIKYnWk&t=9s


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