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緑の地球ネットワークに対する一会員の感謝と期待 by 松永光平(GEN世話人)

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 会員の松永光平と申します。はじめての方も多いのではないかと思います。事務局長の東川さんに何か書かないかとお声がけいただきました。日ごろ何もご恩返しできていないので、これまで緑の地球ネットワーク(以下、GEN)にお世話になったことへの感謝と、今後への期待をこの場を借りて書かせていただきました。
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1 GENとの出会い
 
 私は、1970年代末、東京の生まれです。ちょうど日中友好平和条約が締結されたころです。幼少時代の1980年代は、中国ブーム真っ盛りでした。手塚治虫と陳舜臣が監修した中央公論社の漫画中国の歴史シリーズの水滸伝を読み、中国好きになりました。そのうち、公害問題などについて知るようになり、公害経験のある日本にいるものとして、中国で、環境問題の解決のため何かできないかと思うようになりました。
 さいわい大学、大学院で環境問題にかかわる分野と、中国語とを学ぶことができました。大学では北京で語学研修がありましたが、遠足で行った大同は、まだ木がほとんど生えていない状況で、夜明け前に列車の窓から見た、一面の荒漠とした大地の姿を今も忘れることができません。大学院では、私の指導教員が黄土高原の砂漠化防止に携わっていたことから、GENへと関心が向くようになりました。立教大学の上田信先生がGENの関東ブランチを開催なさっており、上田先生だけでなく、村松弘一さん、藤沼潤一さん、その他老若男女問わず、すばらしい人たちに出会いました。
 
2 GENへの感謝
 
 GENは、大学院での学びにおいても、もっとプライベートな面においても、私の難しい時期に助けとなってくれました。ここで、GENと、この組織を支えてくださる会員、後援者の皆様に、厚くお礼申し上げます。
 まず、大学院では何を研究すべきか、悩むところが多かったのです。しかし、GENは、分野問わず、黄土高原の緑化に熱意を持つ研究者の方が多く、教えられるところが多かったです。まず、上田先生の『森と緑の中国史』(岩波書店)は、先駆的な著作としてつねに参照していました。また、私は黄土高原の侵食プロセスを研究していたのですが、故遠田宏先生から岐阜県図書館に旧ソ連が作製した中国の地形図があることを教えていただき、これを利用して、修士論文を書き上げることができました。さらに、村松弘一さんから、人間と環境との関係を歴史的にとらえる環境史という分野を教えていただき、博士論文の執筆についても方向性を得ることができました。後に、博士論文をまとめた書籍に対して、村松さんからは、以下の、温かい応援をいただきました。
村松弘一(2014)「Book Review ポスト退耕還林時代、黄土高原へのメッセージ : 松永光平著 中国の水土流失 : 史的展開と現代中国における転換点」、東方、396、33-36。
https://www.toho-shoten.co.jp/export/sites/default/review/396/toho396-03.pdf
 上で触れた方々以外に、長坂健司さん、原裕太さんや、その他会員の方々から学ばせていただいています。
 プライベートな面において、大学では手痛い(私が悪いのですが)失恋を経験し、意気消沈しておりました。しかし、GENで嫁さんを見つけました。結婚式にも、GENの会員の方々に参加いただきました。中国、環境問題など、共通の話題について熱意をもつことから、日々会話を楽しみ、幸せな結婚生活を送ることができています。このような貴重な出会いを与えてくれたGENには、頭が上がりません。
 他方、就職活動でも苦労することもありました。GEN関東ブランチの上田信先生からは、たびたび推薦書を書いていただきました。私の就職がうまくいったのは上田先生、そして上田先生と知り合う場を提供してくれたGENのおかげだと思っております。

3 GENの今後への期待

 GENの今後への期待は、二つあります。
 一つは、さまざまな立場から発言し、互いに学び合う場であり続けてほしいということです。私は現在大学教員をしております。これまでGENでは、研究者の方々に教えていただくことが多く、私も何回か発表の機会をいただき、このたびも、原稿を書かせていただきました。しかし、GENは、研究者以外の方々一人一人も個性的で、私は教えられることが多くありました。漠然とした表現になりますが、皆様に教えていただいた一つ一つのことが、私の人生の方向性を変え、変わらなかった場合とは大きく異なる現在の状況を作っているのだと思います。ですから、GENがもっているアカデミックな面と、運営懇談会や会報などにおける、実業界、市民活動、学生など、さまざまな立場からの発言・討議の機会とが、今後も続くことを願っております。
 もう一つは、GENが、日本と中国にとどまらず、原裕太さんのSDGsや村松弘一さんのグローバルヒストリーのように、地球規模、人類史スケールで、活動を位置づけられるようになってほしいということです。私が大学で教えておりますのは、地理学という分野です。明治維新以降、大学で教えられています。日本の(ほかの一部の国もですが)地理学の歴史を振り返ると、1945年以前においては、自国中心主義的な側面があったことは否めません。中国とのかかわりでいえば、たとえば大同炭田の利用への提言がありました。そこには他国への敬意はみられませんでした。また、地政学的な研究も盛んにおこなわれましたが、失敗に帰し、関わった多くの学者が戦後、公職追放の憂き目にあいました。こうした歴史をふまえ、前世紀の後半においては、日本と中国の地理学者とが学術交流を徐々に深め、日中地理学会議、日中韓地理学会議という形に結実しています。他方、国際地理学会議(International Geographical Union)での中国人の活躍が見られるけれども、日本人の参画はやや限定的な状況です。国や地域というレベルを越えて、地球全体での問題をともに考え、行動することが、もっと必要ではと思います。私はGENに対しても、同じ期待を抱いています。GENが設立に向けた準備会を立ち上げたのは、東西冷戦終結後間もない、1992年、地球サミット開催の年でした。GENの原点を今振り返るならば、緑の地球を実現するため、まだまだできることがあるのではないか。漠然と、そのようなことを考えております。
 お読みくださり、ありがとうございました。

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