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黄土高原史話<7>華北農耕文化の明と暗 by谷口義介

 「南船北馬」を代表例として、南北対比の四字熟語はゴマンとあるのに、東西対比の方は皆無といえるほど。東奔西走は対比ではないし、東辣西酸は南甜北咸とセットの言葉です。
 中国語辞典を引いてみると、「南稲北粟(麦)」「南粒北粉」「南釜北鬲」「南糸北皮」「南板北弦」「南頓北漸」などなど。いつだったか機中で見た『西安日報』(?)に、「南傘北帽」と題するコラムがありました。
 ではなぜ、東西対比にくらべ、南北対比の四字熟語は圧倒的に多いのでしょうか。
 考えてみると、これはなかなか面白い問題で、答えもいろいろあるでしょうが、南・北をどこで分けるかは、至って明瞭・明快。
 秦嶺(陝西省)―淮河(江蘇省)を結んだ線、だいたい年間降雨量800mmラインに当ります。南からインド洋で大量の水分を含んだ空気が北上してきて多雨、ラインの北側はユーラシア内陸部の乾燥した偏西風により少雨、というわけ。
 黄河流域の華北は、もちろん800mm以下。黄土高原は更にそれ以下。太行山脈の東南と西北で降雨量に違いが出ます。
 ちなみに、秦嶺山脈で中国の南北を分けたのは前回ふれたリヒトホーフェンとW.ワグナー(1926)。淮河の南北で土質が異なり、農耕の形態に違いがみられると指摘したのはジョン・ロッシング・バック(1927)。
 新石器時代の華北では、龍山文化の段階に入り、アワ、キビを中心にコウリャン、ムギ、イネと五穀が出揃い、家畜もイヌ、ブタ、ウシ、ニワトリにヒツジも加わって、北中国的な農耕文化が形成されました。
 しかし、畑作栽培と家畜飼育に重点を置く限り、耕地面積の絶えざる拡大が人口維持のための基本原則。畑作栽培は連作障害を引き起こすので、一定の収穫量をあげるためには常に広い面積の耕地が必要ですし、何年かおきに休耕しなければなりません。家畜飼育も、収穫後の藁や茎を利用しますが、 絶対的に豊かな草地の確保が必要。その意味では、両者は矛盾・競合関係にあります。
 華北の農耕文化が偉大な黄河文明を築き上げたことは確か。
 しかし今、黄土高原に行って、山上まで耕された畑(写真)や、わずかな緑を争う羊群を見るにつけ、華北農耕文化の宿命を思わないではいられません。


(緑の地球85号(2002年5月発行)掲載分)


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