胸張って叫ぼうじゃねぇか。
対面お話会も終わり、
2024年のイベントもいよいよ大詰め。
そして来たるは10月26日ツーショット撮影会。
オンラインお話会も定期的にやってはいるものの、
果たして後悔のない会話はできたのだろうか。
いつもは恥ずかしくて言えない言葉もあるのはわかる。
「ありがとう」
「大好きだよ」
こんなところだろうか。
もっと伝えるべき、紡ぐべき言の葉はあるかもしれない。
はたから見たら勘違いも甚だしいかもしれない。
逆の立場で考えてみてほしい。
自分が応援される側の存在だとしたら。
声援を受け、それに応える側だとしたら。
感謝の言葉や親愛たる言葉を受けたとき、
そこに100%の嫌悪感を感じるといえば嘘になるだろう。
ライブでのパファーマンスやお話会でくれる笑顔や言葉に対して、
そして普段からのすべてに対しての感謝。
僕らができる恩返しといえば限りがある。
メタなことを言うが、
グッズやCDの購入を以ってしての三方よしな還元としての投資。
これは非常にわかりやすいだろう。
そしてコミュニケーションを以ってしての、
まごころの分かち合い。
後者はファンの人数通りある、
いわば個性が最も出る方法だろう。
分かち合う時点で、
そこには対象が伴う。
僕らは結局、其処に推しがいなければ感謝すら伝えられないのだろうか。
僕はそれでもいいと思っている。
感謝や愛を叫ぶのに何の理由もいらないだろう。
世間がなんだっていうんだ。
現実を見ろ?
不毛?
一過性?
そんなことはどうだっていい。
俺らには言葉がある。
感謝できる心がある。
愛がある。
この純な気持ちをぶつけるのことに何の恥があろうか。
胸を張って叫ぼうじゃねぇか。
「ありがとう。大好きだ。」
って。
さいごに
ここまで読んでいただきありがとうございます。
最後の”俺ら”という部分に違和感があった方もいるかもしれません。
これは私げんまるというオタクの部分と、
一人の人間としての意見が合致したある種の心の叫びです。
最近ふと考えたときに浮かんだ、
世間体や所謂一般的な意見。
それらに対する私なりのアンチテーゼが今回の記事になります。
好きやありがとうに何の恥があろうか。
あってたまるか。
声に出したり、Xに投稿するのすら共感性羞恥があるのも百も承知です。
オタクをやっている時くらい、
自分の気持ちの正直に生きたいじゃありませんか。