自己紹介(長いよー)改め歴史と 経緯について触れていきます。
はじめまして!
ゲンナ(源和)と申します。
今回自己紹介を書く決意をしたのはある
師匠からのアドバイスをキッカケに決意。
正直恥ずかしい内容になりますので別で
晒すのは禁止。
【遡るは約40年前】
生まれた時に先天性の病気を持って
この世に誕生。
0歳児の時に突発的に心臓発作を起こし
生死をさまよう。
この時は自然に復活したと聞いた。
幼稚園の時に手術を受け先天性の病気は
完全に治り【根治】した。
1年位はプロレスや格闘のような
激しい運動は禁忌とされていた。
小学校に上がりどうも頭が悪く成績は
最悪!
成績表はアヒル(2)と煙突(1)の
行進!!
とにかく弱々しくイジメも経験し
運動神経も悪い・・・
とっても冴えない私・・・!!
学習塾や勉強の時間はしっかりとるが、
何より集中力が続かない。
テレビゲームや遊びに関してはすこぶる
集中し、スコアは良かった。
当時の文集を読んだが、宿題を全否定し
意味のない事だと稚拙に論じていた。
よく先生から個別指導を受けなかったと
不思議に思ったりした。
【受験勉強】
こんな私も中学受験・・・何と奇跡の
【合格】!!!
驚きと日頃の努力が初めて報われた
そんな感覚になった。
しかし、
ここで終わらないのが私の人生。
勉強にはメッキリついていけなくて
ご想像の通り成績はアヒルと煙突の
行進であった。
高校に進学は何と中高一貫校にて
成績の悪い私でも何とか高校生に
なれてしまった。
そうなれてしまった。
高校に進学しても皆さまに期待通り
ドベでした。下から1位や2位を
争っていった。
だが転機が訪れた。
こんな私も就職するか進学するか、
もちろん選択肢などないど
ど阿呆であった。
幼少期を思い出す。
あの時お世話になった。
・・・看護婦さん・・・
医者じゃないのかい・・・
そんなツッコミを受けそうだが、
正直な話、医師の顔は覚えていない。
お世話になった看護婦さんの顔は
今でも思い出す。
本当に優しかった。
どうやら看護師に興味を持った。
・・・夢は人並みにあったが、
こんな勉強出来ない自分がまさかの
国家資格である看護に
興味を持ってしまうとは・・・。
【看護師を目指す】
当時を思い出すと【クレイジー】な
選択・・・
思い付き・・・
ノリ・・?
実際に進学を考えた時に思ったのは
半端なく学力が最弱なのが最大の難点。
まずは目標を・・・目標もクソもない。
選択肢を1つでも見つける事・・・・。
何故なら、
私の受験当時の環境は男女差別は
残っており、
男性の受験できる学校自体少なく
間口は狭かった。
私は自衛官から看護士になるか、
専門学校から看護士になるか、
2択と・・・イヤ。
カッコ付けたくて4年制の大学進学
も選択に入れた。
担任の先生は否定こそしなかったが、
相当な努力が必要だと
言っていた事を思い出した。
成績はそんなにうなぎ登りには
ならない。
10年近くドベで気なのだから・・・。
怒涛の努力は約2年半続いた・・・!
一生分の勉強をしたのでは・・・・。
言い過ぎかな・・・・・・。
結果・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・
看護専門学校に
【合格】
した!!!!!感動した!!!!!
【看護専門学校】
看護学校の授業はこれまた
皆様の期待を裏切らず
難しい・・・ドベでした。
ギリギリ単位をとり糸の上を
綱渡りしている感覚出会った。
そこで、一般教養は本当に
積み重ねだな・・・。
受験頑張っただけでは
年月が足らない。
そう感じていた。
専門科目に関しては流石に
興味があって学ぶ姿勢があり
何とか低め横ばいで成績は
進んでいった。
ここで試練が、・・・・・
実地実習の場で大先輩の看護婦さんより
相当な圧力を受ける。
何故なら女性の職場に冴えないヤツが
何で来たいと思ったんだと
言わんばばかりな態度を
今でも焼き付いている。
決して面と向かって
言われていないので私の主観である。
医師の世界では女性差別を
受けていたのでその逆のように
感じていた。
3年生の夏・・・ここを超えたら
実地実習は半分をこえてあと少し。
【人生まあまあ大きな事件を経験】
事件が・・・・、
私は結構緊張しいで、ええカッコしい、
間違えたくないから黙りこくる部類の
人種でした。
しかし、
このようなチームワークが必要な
医療の現場看護婦からしてみたら
「大丈夫〜この子?」
これは実際に言われた事あり!!
結構ショックを受けた。
全く考えていない訳ではないのに
自分の言葉で話をしないから
「何を考えているかわからない」
これは先生に言われた。
結構今でも思い出すと悲しい
出来事であった。
先生・・・
あなたがわかってくれないなら
誰も私のことわかってくれる人・・・
いませんよ・・・(泣)
そして大先輩の看護婦に扱き下ろされ、
実習の単位はもらえず、
ここまで不思議と留年はなかったが、
ここで初めて最大の挫折を
味わうこととなった。
しかし、
諦めの悪い私は来年も頑張ると
親に泣きつき再起を誓った。
【最大の挫折を経験】
ここで初めて空き時間で
アルバイトや国試受験
受験勉強をひたすらにやっていた。
バイトでは社会勉強を、
本当に世間知らずの
甘ちゃんだと知った。
現役のままいったら間違いなく学力が
足らなかった。
留年という遠回りをしたが、
人生経験はとっても豊富になる
貴重な1年となった。
そして当時取れなかった単位もとり
いよいよ国家試験・・・!!!
滅茶苦茶難しい・・・。
当時不適切問題も多発していた。
そして、
結果・・・・
・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・
【合格】
ヨッシャ〜〜〜〜〜!!!!!
晴れて看護師となった。
【正看護師誕生】
因みにタイミングもよく
男女雇用均等法の出現。
マジでタイミング良かった。
それまで看護婦・看護士と呼ばれ
職場も選べないくらい少なかった。
例えば、
救急外来・手術室・透析センター
・精神科などがメインであったと
聞いて驚いた。
結果:
希望の循環器内科の病棟に
就職することができた。
しかし、
【初の職場にて期待を裏切らない】
期待を裏切らない私は
初任者としてかなりの
ポンコツぶりを発揮した・・・
(泣)チーン!
ここまで使えないとは、
自分に絶望をした1年を泥臭く
這い蹲って過ごしていった。
3年を過ぎようとする春、
このまま循環器のスペシャリストを
目指す流れに違和感を覚える。
ここで転職を考える。
もっと病院で最新の医療を学ぶ道
もっと幅広く経験できる道
結果:
もっと幅広く経験できる道
を選んだ。
学生の時からいつか訪問をしたいと
興味をもち今後の事を考えて、
幅広いケースを見られる病院を選んだ。
狙い通り様々な病気の方・障害の方・
高齢者から小児科まで揃っていた。
本当に勉強になった。
実践に勝る経験なし。
そこで様々な経験をして、
上司とも言うべきは言い、
引くところはしっかり引く、
チームでワークをしっかりと
学んでいった。
結果:
かなり視野が広くなっていった。
いよいよ3年ほど経過し
訪問にいく決意をした。
途中はかなり端折りましたが、
相当に苦労しています。
そんな私もようやっといっちょ前に
なり後進の指導にあたったりしている。
訪問に転職を果たし、
行く行くは訪問で
起業をすると豪語し入職。
ここでも苦労に苦労を重ねて
今がある。
とある訪問の仕事につくことが
できた。
そこからは、今までの経験も活かされ
次々に成果をあげている。
こんな私にチャンスを与えてくださった
経営者に感謝し・ここで貢献する事を
心に決めた。
現在進行形で成果をアゲアゲ
出している。
ここまでの経験で学んだ、
人間力・哲学的なこと、
仕事との向き合い方
在り方などお伝えできたら
良いと思い
文面にしていきます。
看護の経験から多くを
学んでいますので、
今回端折った部分などそちらで
触れて行くので
楽しみにしていただけたら
非常に嬉しい。