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フリードリヒ・シュレーゲル『ルツィンデ 他三篇』訳者解題(text by 武田利勝)

 2022年1月26日、幻戯書房は海外古典文学の翻訳シリーズ「ルリユール叢書」の第19回配本として、フリードリヒ・シュレーゲル『ルツィンデ 他三篇』を刊行いたします。フリードリヒ・シュレーゲル(Friedrich Schlegel 1772–1829)はドイツの文筆家。文芸批評、文学史に関する評論や論文を著す批評家にして、「断章(フラグメンテ)」の思想家として知られます。兄アウグストとともに立ち上げた雑誌「アテネーウム」で展開した「断章群(フラグメンテ)」は、当時の知識人を挑発する哲学的なテーゼに満ちています。本書はシュレーゲルの批評家、哲学者としての貌を窺い知れる重要なテキストとして、唯一の小説作品である『ルツィンデ』のほかに、「ディオティーマについて」「哲学について ドロテーアへ」「小説(ロマーン)についての書簡」という3つの批評テキストを収録しています。
 『ルツィンデ』は刊行直後、著者本人と恋人を重ねる当時の読者の間では「閨事の形而上学」「なんたる破廉恥!」と話題を呼び、フリードリヒの念願であった哲学教授への道も阻まれるに至ります。そうまでして執筆・刊行した『ルツィンデ』の真価は、スキャンダラスな物語の事実性にあるのではなく、汎愛論、宇宙論として展開される壮大な内容と形式にあります。複数のテキストにより「アラベスク」模様のごとく織り成された、決して単純ではない作品構成は、いわば〈小説をめぐる小説〉として、20世紀の文学思潮において、省察(レフレクシオーン)の文学、反文学(アンチロマン)として再評価されるに至るのです。
 以下に公開するのは、フリードリヒ・シュレーゲル『ルツィンデ 他三篇』の翻訳者武田利勝さんによる「訳者解題」の一節です。

ルツィンデ_note_書影

ルツィンデ_note_帯表4


『ルツィンデ』構成原理としての「アラベスク」


 ……『ルツィンデ』の構成を眺めていると、そこからある原理が浮かび上がってくることがわかる。すなわち、本編「ある不器用な男の告白」は、それに先立つ「プロローグ」で呈示された四つのモティーフ——(1)語りのパフォーマティブな自己言及性、(2)植物(とそのカオス的な髭根)、(3)「息子」としての作品、(4)抱擁——、これらのたえざる反復によって織りなされた、文字通りのテクスト(織物)なのである。このように、直線的で叙事的な物語形式をとらず、複数のモティーフの任意の反復、あるいは空間的配列にしたがった文学的構成原理を、シュレーゲルは本書所収の「小説についての書簡」において、「アラベスク」と呼んでいる。また上記4つのモティーフのうち(1)については、これも「小説についての書簡」にあるが、「小説」はそれ自体が「小説」についての「理論」である、という認識が前提とされている(本書246頁以降)。ここで言われているのはつまり、「小説」の「小説」自身への自己反省がそのまま「小説」になるという、いわば合わせ鏡の原理であって、たえざる反省(反映)の累乗を通して無限に自己増殖してゆくありさまは、まさしく万華鏡のうみだすアラベスク模様を思わせる。

 「アラベスク」とは文字通り、アラビア風装飾のことだ。なるほど、偶像崇拝を禁ずるイスラム圏の寺院を思い浮かべてみれば、そこには神の似姿がないかわり、壁一面を唐草模様が覆っていたりする。だがこうした装飾はすでに古代ヨーロッパ、つまりギリシアやローマでも盛んに用いられており、たとえば古代都市ポンペイの遺跡でも、壁面を飾る幾何学模様や植物模様が見られる。

 時を下るとルネッサンス期のイタリアでは、レオナルド・ダ・ヴィンチやラファエロがこうしたアラベスク模様による天井画を制作していた。特に有名なのがヴァチカン宮殿の開廊をかざるラファエロのアラベスク(厳密には、人間や幻想上の動物のイメージを模様のなかに取り込んだこの装飾を「グロテスク」とも称する)で、それは同じ宮殿の一室に描かれた傑作『アテネの学堂』の周囲を大いに賑やかなものにしているが、この対比も実に面白い。というのは、かたや中央にプラトンとアリストテレスを配した堂々たる壁画があって、その内部空間は、完璧な一点透視図法によって調和的に統一されている。だがその周囲はと見れば、そこはおよそ遠近法的秩序とは無縁な、めくるめきアラベスクに覆われているのだ。いうまでもなく、教科書的で古典主義的な芸術観からすれば、物語的・遠近法的秩序によって整然と構成された前者こそが主役であって、後者は単なる副次的な装飾にすぎない。しかし、混沌として一見無秩序でしかない形姿に独自の美を認めるマニエリスム的伝統にしたがえば、アラベスクはただの作品周縁的な装飾ではなく、それ自体ひとつの芸術として成り立つのである。

 一般的な理解では、18世紀は古典主義美学の全盛期とされている。だがその一方で、まさにその時代、それまでただ作品の余計な飾りとしか見なされなかったアラベスク(当時の語法では、グロテスクとほぼ同義であった)装飾にあらためて関心が寄せられもしたのである。これは一見逆説的ではあるのだが、調和的な美を理想とする古典主義美学の高まりを受け、ヨーロッパの人びとが盛んにイタリアを訪れるようになったことが、その背景にはあった。ローマもポンペイも、いざこの目で見てみれば、実にいたるところ、賑々しいアラベスク模様で飾られているではないか。1787年から翌年にかけてイタリア各地を旅したゲーテもまた、ローマで、ポンペイで、またシチリアで、この豊穣な装飾芸術を目の当りにしたひとりであった。彼が帰国後、当時広く読まれていた雑誌「ドイツ・メルクール」に「アラベスクについて」という論考を寄せ(1789年)、ラファエロのアラベスクを称賛したことは、ドイツ語圏において装飾芸術の美学的評価が高まるひとつのきっかけとなった。

 そうは言ってもゲーテの場合、また一般的に見ても、その評価はあくまでも留保付きであって、アラベスク装飾は依然として芸術の副次的な地位にとどまっている。たとえばポンペイ遺跡の壁画を囲む装飾、その起源についてゲーテがめぐらせる次のような思弁は注目に値しよう。

ある家の所有者は、家じゅうの壁を堂々たる芸術作品で覆い尽くす財力がなかった。仮にそうした力があったとしても、それは決して得策ではなかったろう。というのも小さな部屋に描かれた等身大の形姿など、単に彼を不安にしただけだろうし、あるいは小さな無数の絵姿が並んでいるとしたら、それは彼の気を散らすだけだったろうから。そこで彼は自分の資力に合せて、ある好ましくも楽しい方法で装飾を施す。単色の壁に描かれた多彩な装飾は、彼の眼にいつも快い印象を与える。彼がひとり思索し、仕事をしなくてはならない場合にも、それらは彼の気を散らしたり、邪魔したりはしない。それでも彼は快い対象たちに囲まれているのだ。彼が自分の芸術趣味を満足させようという度、より高次の感覚を楽しませようと考える度、彼は〔装飾に囲まれた〕真中の作品を見て、それを所有していることを悦ぶのである。

 少しわかりにくいかもしれないが、ここでゲーテが強調する装飾の機能は、壁に描かれた(たとえば人体などの)姿かたちを室内の日常生活から区別するための、いわば境界としての機能なのである。そのようなものとしての装飾は第一に、絵画を収める額縁と同じで、作品の芸術的価値を引き立たせるのに役立つ。第二に、さらに穿って言えば、それは日常空間と芸術空間を切り離し、非日常の芸術的表象が日々の生活に侵入するのを防いでもくれる。こうした意味では、ゲーテがアラベスク装飾に見出した機能は理性的とも呼ぶべきもので、この点について言えば、彼の思考はなんといっても保守的で常識的にすぎる。

 ところが、ゲーテを通して古代やラファエロのアラベスクを知ったフリードリヒ・シュレーゲルは、そこから驚くべき飛躍をしてのけた。彼によれば、アラベスクは単に作品周縁的な装飾にとどまらないどころか、さらには、ひとつの芸術ジャンルに収まるものでさえない。そればかりかアラベスク、言い換えれば「この人工的に秩序づけられた混乱」、「さまざまな矛盾からなるこの魅力的なシンメトリー」は、シュレーゲルによれば、「人間のファンタジーが持つ、最古にしてもっとも根源的な形式」なのである。そう、シュレーゲルにおいてアラベスクは、単なる芸術の周縁的形式から芸術の形式へと、それも芸術のもっとも根源的な形式へと、急転回を遂げたのだ。

 ちなみに、アラベスクをめぐる前段のシュレーゲルの言葉は、どれも「神話についての演説」というテクストからのもので、これは本書所収の「小説についての書簡」と共に、1800年の「アテネーウム」第三巻に掲載された対話篇『文学についての対話』中の一篇をなす。いずれもフリードリヒ・シュレーゲルの思想を知るうえで重要どころか、読めば読むほど刺激的なテクストではあるのだが、本書では「小説についての書簡」のみを収録した。というのも、こちらでは『ルツィンデ』の構成原理を理解するうえで欠かせない「アラベスク」の概念にいっそう議論の力点が置かれているからなのだが、ここでもやはり、古典主義的な調和や叙事的・物語的統一とはかけ離れた「アラベスク」の一見無秩序な形式こそ、「文学のとるべき完全に明確かつ本質的な形式」(本書236‐237頁)だとされる。さらに、「文学はどれほど恵まれない状況にあろうと、時を得れば依然として奔放に生長するほど、人間のなか深くに根づいている」のだから、近代のような「虚弱な状況下で育ったものは、それ自身もまた虚弱でしかあり得ない」としても、それでも「アラベスクが人工の作品ではなくもっぱら自然の産物である限りにおいて」それはやはり「ひとつの利点」である、とも言われる(同237頁)。

 これはきわめて重要な見解である。つまりアラベスクは単に技巧的・人工的な形式に見えながら、実は人間の本性深くに根づいた、という意味で本質的に自然の産物なのである。その生長は、近代のような、人間がみずからの内なる自然を忘れてしまった貧困の時代にあっては、たしかに虚弱さを免れえない。しかし「時を得れば」、文学はふたたび根源的なアラベスクとして「奔放に生長する」だろう、というのである。

 以上のことを踏まえて、植物を象ったアラベスク模様を思い浮かべていただきたい。ゲーテの見解からシュレーゲルのそれへと至る転回は、あらためて次のようなイメージを与えはしないだろうか。ある芸術作品を縁取る人工的なアラベスク装飾は、やがてそれ自体の自然的生命に目覚める。それは芸術空間と生活空間のあいだに引かれた境界線から次第に鬱蒼とした生長を遂げてゆき、ついには作品の内外を覆い尽くしていく。そしていつしか、アラベスクの無限に錯綜する生長の果てに、芸術と生とがもはや分かちがたく絡まり合ってゆく……。まさに、『ルツィンデ』の掲げる「奇跡の植物学」そのものである。

 芸術と生、官能性と精神性、幻想と現実、冗談と真面目、男性と女性。こうした相対立的なものの、論理的弁証法を超越した無節操な絡まり合い、あるいは緊密な抱擁こそが、「アラベスク」を構成原理とした本作『ルツィンデ』の目指すところであった。もちろん、本作が未完成にとどまったのであるからには、このアラベスクの奔放な生長もまた、道半ばで終わったというしかあるまい。だが『ルツィンデ』の出現とともに、「アラベスク」は、お仕着せのなかに閉じ込められていた芸術を生の領域へと拡張し、芸術の側から生を侵食してゆく、そのような新たな境界線゠最前線たる使命を自覚したのである。そのように見れば、『ルツィンデ』がかつて読書界に巻き起こした混乱には、無理からぬものがあった。あるいは、なおも現代の読者のなかに混乱を引き起こすとしたら、それは『ルツィンデ』が依然として前衛芸術でありつづけていることの、ひとつの決定的な証なのではあるまいか。

 さて、本書には『ルツィンデ』関連テクストとして、「小説についての書簡」のほか、「ディオティーマについて」(1795年)と「哲学について ドロテーアへ」(1799年)のふたつを収録している。その理由は、シュレーゲルによる次のような遺稿断片があるからだ―「この作品〔『ルツィンデ』〕は、高度に累乗されたディオティーマと哲学書簡である」。

 この言を信じてよければ、本書収録の「ディオティーマについて」と「哲学について」の両テクストを掛け合わせ、両者のエッセンスをいっそう高い次元で総合したところに『ルツィンデ』は構想された、ということもできよう。そしてこのふたつのテクストがいずれも女性をテーマにしていることを考え合わせれば、シュレーゲルのいう「高度の累乗」とはつまり、同テーマをめぐる一方の学術的、文化史的な叙述と、他方のイローニッシュで随想的な叙述とを、ルツィンデというひとつの理想的女性像へと詩的に昇華することであったといえよう。


【目次】

 ルツィンデ  ひとつの小説
 ディオティーマについて
 哲学について  ドロテーアへ
 小説についての書簡


   註

   フリードリヒ・シュレーゲル[1772–1829]年譜
   訳者解題
【訳者紹介】
武田利勝(たけだ・としかつ)
1975年愛知県生まれ。早稲田大学大学院文学研究科ドイツ文学専攻博士後期課程修了。早稲田大学第二文学部助手、駒澤大学総合教育研究部准教授を経て、九州大学人文科学研究院准教授。専門は近代ドイツ思想、文学。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。本篇はぜひ、『ルツィンデ 他三篇』をご覧ください。