イェンス・ピータ・ヤコブセン『ニルス・リューネ』訳者解題(text by 奥山裕介)
2021年5月24日、幻戯書房は海外古典文学の翻訳シリーズ「ルリユール叢書」の第14回配本として、イェンス・ピータ・ヤコブセン『ニルス・リューネ』を刊行いたします。イェンス・ピータ・ヤコブセン(Jens Peter Jacobsen 1847–85)は19世紀デンマークのリアリズム文学を代表する詩人です。少年時代から詩作と植物採集に熱中し、大学では植物学を専攻。藻類についての論文を発表するほか、ダーウィンにも関心を示し、『種の起源』のデンマーク語翻訳を行うなど、文学と自然科学の両面で才能を開花させるも、肺病を患い、38歳の若さで夭折しています。創作として、世紀末デカダンスに先駆ける〈幻滅小説〉として話題を呼んだ本作のほかに、長編の歴史小説『マリーイ・グルベ夫人』、短編小説を6篇、抒情詩などを残しました。ヤコブセンの作品は、リルケ、ゲオルゲ、トーマス・マン、シュニッツラー、フロイト、ホフマンスタール、ゴットフリート・ベン、ヘッセ、ツヴァイク、ムージルといったドイツ語圏の作家たちに愛され、後世の世界の文学者たちに大きな影響を与えています。
以下に公開するのは、訳者・奥山裕介さんによる「訳者解題」の一節です。
イェンス・ピータ・ヤコブセン『ニルス・リューネ』訳者解題(text by 奥山裕介)
デンマークの詩人イェンス・ピータ・ヤコブセン(ヤコプスン Jens Peter Jacobsen 1847‐85)がその短い生涯をかけて遺した著作は、二作の長編小説と六作の短編、抒情詩とその他小品、書簡に日記、さらにダーウィン主著の翻訳とそれに関連した科学エッセイに尽きる。本書はそれらのうち、二作目の長編『ニルス・リューネ Niels Lyhne』(J. P. Jacobsen: Niels Lyhne. Gyldendal 1880)の新訳である。
翻訳と註疏(ちゅうそ)に関しては、Jacobsen, J. P.; Klaus Nielsen (udg.): Niels Lyhne. 2. udg. København: DSL / Gyldendal 2008[1986]、ドイツ語訳Jacobsen, Jens Peter; Borch, Marie von (Übers.): Niels Lyhne. Reclam 1984[1889]と英語訳Jacobsen, Jens Peter ; Nunnally, Tiina (trans.): Niels Lyhne. Penguin Classics 2006、それから誤脱の夥しさを承知しつつ日本語先行訳(山室静編訳『ヤコブセン全集 全一巻』、青娥書房、1975年)を適宜参照した。
さて本書であるが、ずいぶん肩の凝る訳文をお目にかけてしまったのではないだろうか。巻を措いたのち、少なからぬ非難の矢が那辺に的を求めるか、訳者としてはおおよそ覚悟しているのである。
ひとつは文体の異様さである。この細密と多彩を極めた言語は装飾過剰、意味の過積載とはいえないか。難解な原文を忠実に再現するにしても、日本語に移す以上はもっと読みやすく工夫できなかったか、と。
もうひとつ、物語の筋の構成にも反発を覚える向きがあるだろう。各章のつながりがいちじるしく緊密を欠き、作中人物の内面の変遷をたどろうにも、その過程が鮮明に描かれていないではないか、そんな声が聴こえてきそうだ。
本稿ではこれらの当然ありうべき疑義に対し、作品の成立事情や受容史を踏まえ、また翻訳者の実感的理解も交じえつつ応答していくことになるが、いきなり話が迂路をたどることをお許しねがいたい。
言葉を着る詩人たち
デンマークの詩人ハンス・クリスチャン・アンデルセン(アナスン Hans Christian Andersen 1805‐75)に、『皇帝の新しい衣裳 Keiserens nye Klæder』(1837年)という童話があることはご存じだろうか。「はだかの王様」の訳題で周知されて久しいこの物語は、豪奢な衣裳を見せびらかすことを好む皇帝をペテンにかけようと、詐欺師たちが巧言を弄するところから始まる。
彼らは織工だと詐(いつわ)り、思い描けるかぎり何より素敵な布を織ることを心得ていると言いました。色といわず絵柄といわず、ちょっと見当たらないくらい美しいものでしたが、その布で仕立てた衣裳には不思議な特徴があって、地位にふさわしくない人や、許しがたいほど馬鹿な人には、誰ひとりその衣裳が見えないというものでした。[★01]
わざわざ織機まで用意して、ありもしない布地を服に仕立てるペテン師たちのジェスチャー。愚物の烙印を押され地位を追われることを恐れて、懸命に服が見えているように装ってみせる皇帝と廷臣。ニセ織工たちの虚言と都びとの虚栄心があたかも縦糸横糸となって織り合わされるように、一大パントマイム・ショーへと発展する。裸で練り歩く皇帝のあとにしたがう延臣どもは、恭しく裾を捧げもつ仕草を演じ、行列を見送る市民も一様に「新しい衣裳」の「模様」と「色」を褒めそやす。誰もが己の体裁に心をやつし、見えもしない「衣裳」の美しさに讃嘆を贈る。結局、ひとりの子どもの口から発せられた「皇帝は何も着ていない」という一言が呼び水となって、人々は皇帝が裸であることを異口同音に認めるのである。
詐欺師たちが語る「衣裳」という言葉は、表象の対応物たる実体をもたず、その「色」と「絵柄」のイメージは誰の脳裡にも共有されることはない。「皇帝の新しい衣裳」を「見る」人々は、実のところ何を見ていたわけでもない。子どもの口を突いて出たひと言で消し飛ぶ類の、ありもしない「色」と「絵柄」に支配されていたのだ。言葉は人々をひとつに結びつけるどころか、虚偽と猜疑によって各人をばらばらに分断する方向に作用する。
語られるもの(シニフィエ)の不在に対して、語るもの(シニフィアン)が一方的に肥大するという事態はいかにも剣呑で、意味の対応物をもたぬまま亡霊のように浮遊し多数者を眩惑する言語は妖しくも魅力的である。
『皇帝の新しい衣裳』の着想源は、ロマン派詩人カーステン・ハウク(Carsten Hauch 1790‐1872)からアンデルセンに送られた1837年1月8日付の書簡に窺うことができる。このなかでハウクは、当時飛ぶ鳥を落とす勢いをみせていた詩人フレゼリク・パルーダン゠ミュラ(Frederik Paludan-Müller 1809‐76)の近作を挙げて「純然たる失敗」と断じ去る。そればかりか返す刀で、詩人の「稟質の核心に眼を向けること」をせず安易に賛辞をおくる読者をも、「詩について盲目」と斬って捨てる。そして、ハウクと知人とのあいだでアンデルセンとパルーダン゠ミュラの優劣をめぐる論争が戦わされたことにふれて、「公衆の前に現れるとき、パルーダン゠ミュラは身をおおう美々しい詩の衣を手にしているに過ぎないのだから、貴兄こそがもっとも天分に恵まれた詩人なのだと私は主張しました」と持ち上げる[★02]。
ハウクにしたがえば、言語は詩人の人格を装飾する「衣裳」であり、読者は舞台上の俳優でも眺めるように、詩人という造形物を鑑賞する観客となる。槍玉にあげられたパルーダン゠ミュラもまた、「かつてのロマンティックな衣裳に加えて、古代の装束、シェイクスピアの胴着、ロココの絹衣、バイロンのマント[★03]」といった、古今のヨーロッパ文学から借りた「衣裳/意匠」を纏ったキャラクターとして、公衆の「眼」を愉しませた。
ヤコブセンの書簡や制作ノートに基づくならば、『ニルス・リューネ』の主人公の生年は、1830年か1835年と想定されている。この時代、デンマークの若者の憧れの的となった国民的英雄は、作中と註解でたびたび名前を挙げたエーダム・ウーレンスレーヤ(Adam Oehlenschläger 1779‐1850)であった。ただし、ウーレンスレーヤ自身は必ずしもナショナリストではなく、むしろドイツ語詩人と積極的に交流した世代に属する。だが、この詩人が謳う前キリスト教時代に取材した物語詩に、後続世代のナショナリストたちは周縁ヨーロッパ世界の理想像を映しみて、自国文化の特殊性を主張する根拠とした。「北欧の詩王」と称された彼は、十八世紀までドイツ古典派の影響下にあったデンマーク文学に周縁地域独自の言語創造力を与えた国民ロマン派の創始者へと祀(まつ)りあげられる。
とりわけ詩劇『アラディン Aladdin』(1802年)は、人間主観と自然を分離する観念的な詩風から、自然と一体化した詩的直感の言語化へと転換を図るウーレンスレーヤの自己変革が仮託された代表作である。『千夜一夜物語』に由来する異国的形象で構成されているにもかかわらず、『アラディン』は作者の名声の高まりとともにいつしか国民的名作として活字・劇場メディアに定着していった。魔法のランプ(詩の象徴)の力を借りて願いを実現する純心な幸運児アラディンは、ドイツ語圏から独立したスカンディナヴィア世界の特殊性を強調するアイコンへと読み替えられ、続く世代の模倣作により伝統的類型として定着した[★04] 。
スリースヴィ(シュレースヴィヒ)の帰属をめぐってデンマーク・ナショナリズムが高揚するにつれ、「アラディン・カルト」はいよいよ高まった。しかしながら、近代科学の隆盛や伝統的宗教観の動揺とともに、純粋無垢で空想世界に遊ぶ自然児的な「アラディン」像にも改変が迫られる。この時代のデンマークを舞台にしたアンデルセンの教養小説『あるべきかあらざるべきか At være eller ikke være』(1857年)では、主人公ニルス・ブリューゼ(Niels Bryde)が詩と科学と信仰の葛藤を乗り越え、「新アラディン」という理想的人格へと到達する。ヤコブセンの『ニルス・リューネ』の着想源のひとつであるアンデルセンの「ニルス」は、第一次スリースヴィ戦争(1848‐50/51)を生き延びてキリストの復活をあらためて信じ、人格的完成の契機をつかむ。これに対して、ヤコブセンの「ニルス」は、同じく「アラディン」としての人格的完成を夢みながら、信仰にも物質主義にも幻滅し、あらゆる生存の根拠を見失ったすえ第二次スリースヴィ戦争に斃(たお)れる[★05]。いわば、ウーレンスレーヤからアンデルセンに継承された「アラディン伝統」のパロディを演じつつ、ロマン主義的詩人像の破綻を体現したアンチヒーローである。
ニルス・リューネの母バートリーネの空想家的な人物像もまた、ウーレンスレーヤ的詩世界に没入したこの時代の気分を色濃く反映している。無味乾燥な生活風景を扮飾する詩的ヴィジョンは、「静かな同情をたたえた悲傷という装い」や「憂愁の纏う衣裳」(第二章)に喩えられ、現実と観念の落差がアイロニカルに強調される。
バートリーネの「アラディン幻想」は息子ニルスにも受け継がれるが、イーレクとの出会いを境にこの夢想世界は安定を喪(うしな)う。虚偽に身をまかせることをみずからに許さないイーレクの態度に接したニルスは、「恐れをなして、自分たちの装いを彼に似せた」(第五章)。ここでは、ロマン派的虚構を剥ぎ取るリアリズムまでもが借りものの仮装のひとつとして相対化されている。そして、『千夜一夜物語』の「にせカリフ」よろしく「絹ガウン」、「白い衣」、「インドのショール」で扮装してコペンハーゲンのブルジョワ社会から脱出するという計画は、ボイイ夫人から「自分を追い求める」空想家特有の「三文芝居」と斬って捨てられ、これまたニルスのロマン派的幻想からの脱却を促す契機のひとつとなる(第七章)。
作中人物たちは一様に、人間本性の発露を希求し市民的道徳に挑戦しながら、それが皮相上滑りのはかなき仮装に過ぎないことを悟るのである。「本性のままでいること」を望み「ありのままの人間を知ろうとする勇気」を芸術家に求めたボイイ夫人は(第六章)、一転してニルスへの愛を棄ててブルジョワ家庭の因習に屈従した(第九章)。イーレクの訃報に接して愛欲から醒めるやニルスを悪漢のように見なすフェニモア(第十一章)も、死に臨んでニルスの無神論を離れキリスト教信仰に回帰したゲアダ(第十三章)も、同様の経過をたどった。そしてとうとうニルスも、愛児の死を前に伝統的な宗教感情に屈服した(第十三章)。
1864年の第二次スリースヴィ戦争で主人公が斃死(へいし)するまでの生涯を描いた『ニルス・リューネ』は、作者の言葉を借りれば「我々以前の人々のロマーン[★06]」(1880年12月17日イズヴァト・ブランデス宛書簡)である。それはロマン主義とリアリズムの端境期を生きた人々の物語であり、言語によって仮構された自己像を追い求めては見失うという幻滅の軌跡である。
他方、ヤコブセンを含む「我々」も、ロマン主義が支配的だった「黄金期(Guldalderen)」からの脱却が積極的に叫ばれる1870年代の変革期を生きた世代に属する。ヤコブセンより10歳下で「印象主義」を標榜する作家ヘアマン・バング(Herman Bang 1857‐1912)は、最初の著書となった評論集『リアリズムとリアリストたち Realisme og Realister』(1879年)の巻頭エッセイ「デンマーク・リアリズム寸感 Lidt om dansk Realisme」を、次のような予言で結んでいる。
芸術の諸形式は、生のそれと同様に変転する。リアリズムもまた、時代の思想を覆う柔らかい衣裳としての馴染みよさで勝る新しい形式を前に、退場する日を迎えるだろう[★07]
この時点ではいまだ実作で見るべき業績をあげていないバングであったが、変革期の文学の動向をきわめて鋭敏に洞見している。折しもコペンハーゲンでは市街を取り巻く築塁が撤去され、パリに範を仰ぎつつ近代都市へと変貌しようとしていた。喪われた濠端の風情を愛惜するH・V・コーロンらロマン派詩人は、世情の変化への憂いをリアリズム陣営への批判に託して、新世代の作家群に向けて韻文形式による論争を挑んだ。バングはこの一件に並々ならぬ関心を抱いたらしく、先のエッセイの冒頭も「韻文合戦」への言及から始まる。
近代都市化への期待と不安、旧時代への未練が瀰漫する過渡期のコペンハーゲンの雰囲気については、遠くモントルーに病身を養っていたヤコブセンも耳目をひかれるところであった。『ニルス・リューネ』の第六章に、作中の時代でいうところの「旧世代の大家」への言及として、「青年たちよりも幅広い語彙を有し、事態の把握の仕方がいっそう華々しかった」との批評的叙述がみえるが、これはコーロンらの論争から着想したとされる。
築塁撤去からまもないコペンハーゲンのイリュミネーション燦々(さんさん)としてどこか架空めいた都市景観と、市民の虚飾的な歓楽と社交は、1887年にバングの長編小説『化粧漆喰[ストゥク] Stuk』(〈ルリユール叢書〉より刊行予定)で活写されるところとなる。ニルス・リューネが「新しい衣裳」を着た詩人とするならば、『化粧漆喰[ストゥク]』で「新しい衣裳」を着た「皇帝」にあたるアンチヒーローは、さしずめ都市そのものということになるだろう。作中の時代も文体も異にしたふたつの物語が同じ世相を背景にして成立したところに、この時期の文学の面白さがある。
バングの予見したとおり、1870年代に勃興したリアリズムが爛熟期に差しかかって以後、ヨーロッパ由来の文学思潮がいっそう乱立の様相を呈するようになった。作家たちは海外思想の輸入や自己変革に忙しく、前記の「韻文合戦」でコーロンらと応酬したホルガ・ドラクマン(Holger Drachmann 1846‐1906)のように、リアリズム陣営と袂を分かってロマン派に回帰する詩人も現れた。『ニルス・リューネ』は、そのような玉突き状に様々な傾向性があわただしく交替する変革期にあえて旧時代を舞台にとって、リアリズムの根底に横たわる抜きがたい夢想家的気質、そのドン・キホーテ的な運命を異様な密度で描いている。
[★01]Erik Dahl (udg.): H.C. Andersens Eventyr bd. I. C. A. Reitzel 1990, s. 107.
[★02]Jvf. Hans Brix: H. C. Andersen og hans Eventyr. Gyldendal 1970[1907], s. 92f.
[★03] ibid, s.94.
[★04] Elisabeth Oxfeldt: Nordic Orientalism. Paris and the Cosmopolitan Imagination 1800–1900. Museum Tusculanum 2005, s. 21ff.
[★05]Jvf. Sophie Wennerscheid: “Close your eyes”. Phantasma, Kraft und Dunkelheit in der skandinavischen Literatur. Wilhelm Fink 2014, s. 137.
[★06]Edvard Brandes (udg.): Breve fra J. P. Jacobsen. Gyldendal 1899, s. 114.
[★07]Herman Bang: Realisme og Realister. Portrætstudier og Aforismer. Gyldendal 1966 [1879], s. 18.
【目次】
第一章
第二章
第三章
第四章
第五章
第六章
第七章
第八章
第九章
第十章
第十一章
第十二章
第十三章
第十四章
註
イェンス・ピータ・ヤコブセン[1847–85]年譜
訳者解題
【訳者紹介】
奥山裕介(おくやま・ゆうすけ)
1983年、大阪府生まれ。大阪大学大学院言語社会研究科博士前期課程を経て、日本学術振興会特別研究員に採用。大阪大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得退学。デンマークを中心に北欧文学を研究。訳書にM・W・スワーンベリ『Åren』(LIBRAIRIE6)がある。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。本篇はぜひ、『ニルス・リューネ』をご覧ください。