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アン・クイン『スリー』訳者解題(text by 西野方子)

2024年10月28日、幻戯書房は海外古典文学の翻訳シリーズ「ルリユール叢書」の第43回配本として、アン・クイン『スリー』を刊行いたしました。アン・クイン(Ann Quin 1936–73)は、1960年代前半から70年代初頭にかけて実験的な小説作品を発表したイギリスの女性作家。B・S・ジョンソンをはじめとする同時代の実験小説家たちと交流をもち、リアリズムを重視する時流に逆らい実験小説を執筆。四作の長編小説(『バーグ』『スリー』『パッセジーズ』『トリップティクス』)と、複数の短編小説を発表しました。
アン・クインの作品は2021年2月、雑誌「MONKEY vol. 2‌3」にて、柴田元幸氏によるクインの短編作品の翻訳(「足の悪い人にはそれぞれの歩き方がある  Every Cripple Has His Own Way of Walking」)が掲載されたことで知られています(柴田元幸、岸本佐知子編訳『アホウドリの迷信――現代英語圏異色短篇コレクション』スイッチ・パブリッシング、2022に収録)。
本書『スリー』は、行方不明の少女が遺したテープと日記帳が夫婦二人の日常を軋ませ、次第に蝕んでいく――作者の自伝的要素も組み込まれた奇妙な長編小説です。
以下に公開するのは、アン・クイン『スリー』の翻訳者・西野方子さんによる「訳者解題」の一節です。

アン・クインの生涯と彼女の文学史における位置付け


 クインの伝記的な事実については目下調査が行われているところではあるが、現在わかっている情報をまとめると以下のようなものとなる。クインは1936年3月17日に、イングランド南東部に位置するイーストサセックス州の都市ブライトンで、元オペラ歌手のアイルランド人モンタギュー・ニコラス・クイン(Montague Nicholas Quin)と、グラスゴー育ちのスコットランド人アーン・リード(Anne Reid)の間に生まれた。一家は父方の親族たちと同居していたが、クインが10歳の時に父が家を出ていき、母と娘は以降二人だけの生活を送ることとなった。自身の半生を綴った伝記的エッセイ「卒業 Leaving School──XI」で述べられているように、クインはカトリック教徒ではなかったものの、「ちゃんとした言葉」の話せる女性になるようにという母の意志で地元の女子修道学校へと入学した。学生時代にギリシャやエリザベス朝の戯曲、ドストエフスキー、ヴァージニア・ウルフ、チェーホフ、D・H・ロレンス、トマス・ハーディなどを好んで読み、自身に影響を与えた作品としては特にドストエスフキーの『罪と罰』やウルフの『波』を挙げている。また演劇にも傾倒し、週末には劇場に通っていた。十七歳で学校を卒業した後、演劇の世界で身を立てていくことを望んだクインは劇場でアシスタントとして働き始める。役者を目指し王立演劇学校(RADA)のオーディションを受けるも極度の緊張でその機会をふいにしてしまい、すでに詩で受賞経験があったことも手伝って、役者ではなく作家になろうと決意をしたと、クインは先のエッセイで述べている。それ以降は、昼には地元のブライトンやロンドンで秘書として働き、帰宅後に作品を執筆する生活を送っていた。速記とタイプライターの技術を身に着けたものの秘書の職は低賃金で十分な生活費を稼ぐことが難しく、暮らしは厳しいものであったという。職を転々とし、ブライトンの実家からロンドンの職場へと通勤していた時期もあり、仕事と執筆の両立で多忙を極めた彼女は身体的にも精神的にも体調を崩すことがあった。彼女が最初に精神疾患を患ったのもデビュー前のこの時期である。二作品を書き上げたが出版には漕ぎ着けず、三つめに完成させた小説『バーグ  Berg』でようやく出版社ジョン・コールダー(John Calder)との契約に至り、1964年にこの作品でデビューを果たす。『バーグ』はクインの著作の中では出版当時最も好意的に受け止められた作品であり、彼女はこの成功を足がかりにD・H・ロレンス奨学金とハークネス奨学金を獲得し、1965年から2年ほどアメリカで生活をしている。続く1966年には『スリー』を、69年には『パッセジーズ  Passages』を、72年には『トリップティクス   Tripticks』を発表したが、奇妙で難解なその作品たちが一般読者に広く受け入れられることはなかった。『トリップティクス』を完成させた後、1970年には重度の精神疾患を煩い電気けいれん療法を受けて、スウェーデンのストックホルムで、その後はロンドンで入院生活を送る。同じ時期に、彼女は次の作品として精神病棟を舞台とした物語『地図にない国  The Unmapped Country』を執筆している。1973年の秋からイーストアングリア大学の文芸創作学部で学ぶことを目指し、ヒルクロフト女子寄宿学校(Hillcroft residential college for women)でその準備をしていた。大学への入学は決まっていたものの、クインはその年の8月、大学のコースが開始する1カ月前にウェスト・サセックス州のショーラムの沖合いで溺死体となって発見される。享年37歳であった。このことを自死と捉える向きもあるが真相はわかっていない。

 クインは、他の戦後イギリスの実験小説家とともに、近年改めて読み直しが進められている作家である。2024年現在、英語圏においてクインの長編四作品はアンド・アザー・ストーリーズ(And Other Stories)からペーパーバックが出版されている。またその長編の再出版に先駆けて2018年に同じ版元から短編集『地図にない国――完成した物語と未完の作品  The Unmapped Country: Stories and Fragments』が刊行され、先に言及した「足の悪い人にはそれぞれの歩き方がある」もこれに収録されている。この再出版をきっかけに英語圏の文芸誌で特集が組まれ、また新聞の文芸欄で紹介されるなどして、ここ数年でクインの知名度は大きく上昇した。ただし、その少し前からクインの作品は比較的手に取りやすいかたちで流通していた。クインについての再評価が始まりつつあった2000年代初頭に遡れば、当時はドーキー・アーカイヴ・プレス(Dalkey Archive Press)がクインの長編を出版しており、それと時を同じくして学術の場においてもクインを対象とする研究が現れ始めた。ここ数年でその研究の成果が書籍化されるなど、クインが論じられる機会は目に見えて増えている。クインの作品を含めた戦後の実験小説は、近年のイギリス文学において大いに注目を集めている領域の一つと言っても過言ではないだろう。

 このように現在では多くの研究者や読書愛好家に知られつつあるクインは、長らく忘れられていた戦後イギリスの実験小説家のひとりとして紹介されることが多い。クインが執筆活動をしていた当時から彼女はメインストリームから逸脱した存在として認識されており、彼女の書く難解な小説は広く受容され高く評価されていたとは言い難い。労働者階級の視点からリアリズムの手法を用いて社会を描いたアングリー・ヤング・メン(Angry Young Men)の一連の作品が戦後のイギリスで大きなムーヴメントとなったことが示すように、当時のイギリスではリアリズムの芸術様式を用いて社会を描くことに高い価値を見出す傾向があり、反対にモダニズムに代表される実験的な作品は内面に耽溺するエリートが社会を顧みずに創作したものとみなされ批判を受けていた。クインと同時代の実験小説家であるB・S・ジョンソンは、「大半の批評家にとって『実験的』という言葉はほぼ例外なく『失敗』と同義なのだ」と嘆いている[01]。このようなイギリス戦後文学の傾向は、同じ英語圏の同時代のアメリカではトマス・ピンチョンが、隣国のフランスではヌーヴォー・ロマンの作家たちが、それぞれ実験的な作品を執筆し大きく取り上げられていたのとは対照的であり、ヴィクトリア朝時代のリアリズムが復興を果たした当時のイギリス文学は保守的で閉鎖的だったというのが文学史の定説になっている。

 実験的な文学への風当たりが強かったことは事実であり、戦後イギリス文学の保守性についての文言はある程度は正しいだろう。ただし労働者階級のリアリズムとエリート階級のモダニズムの対立の中で後者が完全に消え去ったという説明は正確ではない。まず、労働者階級をリアリズム文学と、そしてエリート階級を実験文学と結びつける機械的な図式が機能しないことは、クインの例からも明らかだ。彼女は労働者階級出身の作家であり、その生活についても作品内で多く描いている。さらに、最近の研究の成果から戦後のイギリスにおいて「かつて考えられていたよりも、ずっと活発に文学実験が行われていた」ことがわかりつつある[02]。ジャイルズ・ゴードン(Giles Gordon)は、クインの作品には新しい文学を求めていた当時の読者から大きな期待が寄せられていたと回想している。クインの作品を出版していたジョン・コールダー(後のコールダー・アンド・ボイヤーズ Calder & Boyars)はサミュエル・ベケットやヌーヴォー・ロマンの翻訳など実験文学を中心に扱っていた会社だが、その出版社からイギリス人による作品が刊行されることは珍しく、クインはその貴重な一握りの作家の一人であった[03]。会社の代表のコールダーは「クインを含めた作家たちを集めてフランスのヌーヴォー・ロマンやドイツのグループ47のような作家集団を形成しようという意図をもっていた」ことを明かしているが、当時のイギリスにも文学史のメインストリームから外れた場所で実験文学を志す作家たちは確かに存在していた[04]。

 ジュリア・ジョーダン(Julia Jordan)が論じているように、戦後のイギリスにおいて実験主義(experimentalism)という言葉はモダニズム(特にハイ・モダニズム)を意味していた。当時の実験文学の最も身近なモデルは戦間期のモダニズム文学であり、戦後の実験的な作家の多くはその影響の元で作品を執筆した[05]。クインもその例外ではなく、先に述べたウルフ以外にも、例えばアメリカのモダニスト詩人であるウィリアム・カーロス・ウィリアムズ(William Carlos Williams)の作品から大きな影響を受けていたことが最近のアーカイヴ調査からわかっている[06]。このことは翻訳をしていて初めて気がついたのだが、クインは『スリー』の中でウィリアムズの詩を一部改変しつつ引用している(本書114頁)。このことからも、クインがそのアメリカの詩人を愛読していただろうことが察せられる。

 このような戦後の実験小説家の存在は、現在まで続くモダニズム文学の影響を辿る上でも重要である。現代のイギリス文学作品にも同様に20世紀初頭のモダニズム文学との共通点が見受けられるものが数多く存在するが、先に言及した文学史的な理解に沿えば、モダニズム的な実験文学は戦後の空白期間を経て突如現代文学の中に蘇ったように見えるかも知れない。しかしながら、クインの短編集を編纂し、現在彼女の伝記を準備しているジェニファー・ホジソン(Jennifer Hodgson)も述べているように、戦後の実験小説家をモダニズム文学の後継者と捉えれば、文学の実験性は20世紀を通して脈々と受け継がれてきたということも可能だ[07]。

 訳者自身の関心を軸に具体的な事例を述べるのであれば、スコットランド出身の実験的な現代作家アリ・スミス(Ali Smith)は、コラージュの技法や、散り散りになる世界とその有機的な繋がりという主題において、ウルフらモダニストだけではなく、クインとも共通点を持っている。スミスとクインの繋がりについては、さらに興味深い指摘をすることもできる。両者ともコラージュという技法を多用する作家であるが、スミスの四季四部作の最初の作品『秋  Autumn』に重要な人物として登場する、1960年代のポップアーティストでコラージュ作品を数多く発表したポーリン・ボティ(Pauline Boty)は、直接的あるいは間接的にクインと繋がりをもつ人物だ。1959年から63年まで、クインは王立美術院の絵画科で秘書として働いていた。ポップアートの表現者たちの集いの場であった王立美術院で、クインは当時のアートシーンに接触し、アーティストたちと交流を持ったといわれている。友人であったかは不明だが、少なくともクインはボティのことは知っていたと思われる[08]。さらに、後述するネル・ダン(Nell Dunn)が行った女性アーティストへのインタビュー集『女たちとの会話  Talking to Women』にはクインとボティに対してそれぞれ行われたインタビューが収録されており、現在流通している版のイントロダクションはアリ・スミスが担当している。このような事例が示すように、20世紀のイギリス文学を実験性という観点から辿ることで、今まで見過ごされる傾向にあった文学上の連なりを見出すことが可能となる。この連なりの一端を担う作家としてもクインは注目に値する存在である。

[01]B. S. Johnson. ‘Introduction to Aren’t You Rather Young to Be Writing Your Memoirs?’ The Novel Today: Contemporary Writers on Modern Fiction, edited by Malcolm Bradley, Manchester UP, 1977. pp. 151-68. (p. 168)
[02]Kaye Mitchell. ‘British Avant-Garde Fiction of the 1960s’. British Avant-Garde Fiction of the 1960s, edited by Mitchell Kaye and Nonia Williams. Edinburgh UP, 2019, pp. 1-19. (p. 2)
[03]Giles Gordon. ‘Introduction’. Berg, by Ann Quin, Dalkey Archive Press, 2001, pp. vii-xiv. (p. ix)
[04]John Calder. Pursuit: The Memoirs of John Calder. Kindle ed., Alma Books, 2017.
[05]Julia Jordan. Late Modernism and the Avant-Garde British Novel: Oblique Strategies, Oxford UP, 2020 (p. 2)
[06]Chris Clarke. ‘“S” and “M”: The Last and Lost Letters Between Ann Quin and Robert Creeley’. Women: a Cultural Review, vol. 33, no. 1, 2022, pp. 33-51. (p. 4)
[07]Jennifer Hodgson. ‘“Such a Thing as Avant-Garde Has Ceased to Exist”: The Hidden Legacies of the British Experimental Novel’. Twenty-First Century Fiction, edited by Siân Adiseshiah and Rupert Hildyard, Palgrave Macmillan, 2013, pp. 15-33. (p. 22)
[07]Alice Butler. Ann Quin's Night-time Ink, 2013, www.alicebutler.org.uk/wp-content/uploads/2016/03/Butler_AnnQuin_Book.pdf. (p. 23); Denise Rose Hansen. ‘Little Tin Openers: Ann Quin's Aesthetic of Touch’. Women: a Cultural Review, vol. 33, no. 1, 2022, pp. 52-72. (p. 54)

【目次】
 
  スリー
 
    註
    アン・クイン[1936–73]年譜
    訳者解題

【訳者略歴】
西野方子(にしの・のりこ)
静岡県生まれ。イーストアングリア大学大学院修士課程修了、東京大学
大学院総合文化研究科言語情報科学専攻にて博士号(学術)取得。現在、
東京理科大学講師。専門は20世紀以降のイギリスの実験文学。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。本篇はぜひ、アン・クイン『スリー』をご覧ください。