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世界を救う恐怖

 今日、私は『ゼルダの伝説 知恵のかりもの』をクリアした。まじでいいゲームだった。この頃というものバカデカボリュームオープンワールドゲームばかり出ている感じがするが、知恵かりはストーリーもやりこみもなんかすごくちょうどいいボリュームだった。一昔前のゲームをやっているみたいな感覚。でもシステムやそこから得られるゲーム体験はとても新鮮なもので、ゲームの当たり前に慣れてしまう前の、子供の時みたいにワクワクしながらずっとやっていた。そこも含めての”一昔前のゲームをやっているみたいな感覚”なのである。大人になってゲームやんなくなっちゃった人に、特におすすめ。この日記読んだやつは買いな。買ってるやつは今度握手しよ。

 さて、このゲームを買ってちょうど三週間。社会人になってからというもの、一日のゲームの時間が減ってしまいクリアまで結構日にちがたつようになってしまった。だが、日にちがたってしまった理由はそれだけではない。もう一つあるのだ。
 正直、あとラスボスを倒せばクリア!!!という状況には一週間前にはなっていた。でも、私はこの一週間、やりこみ要素をやっていたり、ほかのゲームに手を出したりと物語の終わりを見ることに躊躇していた。

 「そこにエンディングがあるからや」という言葉をご存じだろうか。ゲーム実況の祖ともいわれるありの課長が残した言葉だ。ゲームをやる理由、クリアを目指す理由、これ以上のものは楽しいから以外には見つからない。かくいう私もエンディングを見ることを目標に多くのゲームをやっている。
 だがしかし、私はエンディングを見ることを目標としているくせにエンディングを見ることを少し怖く思っているのだ。簡単に言うと、終わってほしくない。世界を救いたいのではなく、世界を救うための冒険を続けていたい。あとゼルダシリーズは大抵エンディングの後クリア直前に戻されるからそこの虚しさもちょっとヤダ。余韻が若干壊れる。知恵かりがだったかは言わないけどね。
 そんなこんなで私は世界を救うのが怖いと思っていたわけだ。でもいつかは終わらせなきゃいけない。このままがいいなんて私とラスボスしか思っていない。ずっと一緒に冒険してきたのに、私がラスボスの側に回ってはいけない。そう思って、今日。世界を救った。その決断ができた私はまさしく勇者……  いや、リンクの隣に並ぶのは荷が重いや。


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