第14話 写らないものを撮る
まったく上手くならないけれど、フィルムで写真を撮るのが好きだ。
高校生の時にNikonのフィルムカメラを、こつこつと貯めていたお小遣いで買った。それから色々なデジタルカメラを使ったりもしながらも、結局フィルムに戻ってくる。
このnote『物語の部屋』も自分で撮った写真を載せている。
そのほとんどがフィルムだ。
小説『四月になれば彼女は』はフィルム写真の物語でもある。
藤代とハルは、大学の写真部で出会う。
「写らないものを撮りたい」
どんなものを撮りたいのか? という藤代の問いに、ハルは答える。
「雨の匂いとか、街の熱気とか、悲しい音楽とか、嬉しそうな声とか、誰かを好きな気持ちとか、そういうものを撮りたい」
写らないものを撮る。
このセリフは、僕が最も敬愛する写真家・川内倫子の言葉であることを告白しなくてはならない。
(ちなみに小説『神曲』は、川内倫子さんの写真を表紙に使わせていただいている)
小説を執筆中、ハルがどういう人物なのか、ずっと考えていた。
ふと、思い立ち川内さんに会いに行った。
「花火」「うたたね」「あめつち」
淡く、儚く、どこか生と死のはざまにあるような彼女の写真が大好きだった。
ハルはきっと、川内倫子のような写真を撮る人だと思っていた。
どうして、川内さんの写真があんなに淡く儚いのか、と僕は訊ねた。
「わたしの目には、あのように見えている」
彼女は答えた。
「そのように見たい、という景色が写真に写っている」
ハルのキャラクターが、彼女が撮る写真の有様が、はっきりとした瞬間だった。
「カメラを持って歩いているのは、写らないけれども美しいと思えるものに出会いたいからなんです。そのときここにわたしがいて、感じていたなにかを残すためにシャッターを切ります」
その夜、僕はハルのセリフを一気に書いた。
映画『四月になれば彼女は』の現場は、フィルムのカメラマンだらけだった。
佐藤健はNikon、森七菜はPENTAX、今村圭介はFUJIFILM、僕はContaxを。
みなフィルムカメラを手に、映画の撮影が進んだ。
劇中で登場する「藤代の横顔」の写真も、ポスターにもなった「カメラを持った藤代」の写真も、森七菜がみずから撮ったものだ。彼女には素晴らしい”カメラマン”が憑依していた。
チェコ、アイスランド、ボリビア。
海外での撮影においても、皆がフィルムカメラを撮りながら歩いた。
この度、『四月になれば彼女は』の撮影中に山田智和監督が撮り続けた森七菜の姿が、編纂された。
『WANDERLUST』
”旅への憧れ”と題された写真集が、映画公開10日前の3月12日に発売される。
その時そこにあった感情、音や匂い、”写らないものたち”が撮られた素晴らしい写真がそこにある。
この文章を書きながら、ボリビアのラパスからウユニへの旅をContax T3を手にフィルムで収めた写真を見返してみた。