第30話 ハブラシ山の底なし沼
小学生の頃に住んでいた家のそばに、ハブラシ山という小山があった。
それは埋立地にあり、人工的に作られた山だった。
だが年月が経つにつれそこには草木が生い茂り、本物の山のようになっていった。
ハブラシ山にはカマキリやトノサマバッタがたくさん集まり、僕は毎日のようにそこに出かけて、日が暮れるまで虫取りをしていた。
ある日、ハブラシ山の奥に沼を見つけた。
中学生数人が、釣り糸を垂らしていた。
「釣り」という行為を知らなかった小学生の僕は、奇妙な光景に惹かれ茶色く濁った沼の中を覗いた。
真っ赤なザリガニが、釣り糸の先に結ばれたスルメに引き寄せられて、うじゃうじゃと集まっていた。
赤の塊を見て興奮した僕は、意味不明な雄叫びをあげながら、家へと走った。
玄関で靴を乱暴に脱ぎ捨て家に入ると、納戸にあった古い釣竿に凧糸を縛り付け、父親の酒の肴のスルメをビニール袋に詰めてハブラシ山へと駆け戻った。
“先輩たち”の真似をして、恐る恐る釣り糸を垂らす。
たちまち大きなザリガニが寄ってきて、スルメにしがみつく。
慌てて竿をあげ、ザリガニをスルメから無理やり引き剥がしてバケツに入れる。
次から次へと、ザリガニを釣り上げた。
脳みそから溢れ出る悦び。
原始的な釣りの快楽に取り憑かれた僕は、毎日のようにハブラシ山に通ってザリガニを釣った。
いつしか子供たちのホットスポットになったその沼には、次から次へと“釣り人”が押し寄せ、乱獲が繰り広げられた。
あっという間にザリガニの数は減り、僕は沼の奥へ奥へと、ザリガニを求めることになった。
ある日、沼の最奥で大きなザリガニを見つけた僕は、泥の中に足を踏み入れた。
思い切り腕を伸ばして釣り糸を垂らす。
だがそのとき自分の足が泥に深く埋まって、動かなくなっていることに気づいた。
まずい、と震える声が漏れた。
胃が痙攣し、吐き気とともに思い出した。
「ハブラシ山の奥には、底なし沼がある」