第31話 映画と建築はどこか似ている
昨日から、あたらしい映画の撮影に入った(発表はもう少し先になる)。
今年の前半はずっとひとりで小説を書いていたから、映画の撮影に入るとこれほどまでに頼もしい仲間たちがいるのかと、心が踊る。
映画の撮影チームは「組」と呼ばれる。たとえば僕の監督作だと「川村組」となる。
昔気質な呼び方だが、いまだに変わらないし、なんだかしっくり来てしまう。
スタッフの各パートは「部」と呼ばれる。
撮影部、照明部、録音部、美術部、装飾部、衣装部、制作部、演出部、そして俳優部。
総勢100人を超えるスタッフたち。
それぞれに歴戦の職人たちがいて、彼らを若い技師たちがサポートする。
「オールスタッフ」というスタッフ全員のミーティングが撮影前にあるのだが、職人たちが勢揃いすると、これからでかいビルでも作るのではないか、という迫力がある。
確かに、映画づくりは建築とどこか似ている。
過去から学び、100年先の未来にもずっと残るものをつくる。
脚本は設計図であり、それに基づいてそれぞれの職人がクリエイティビティを発揮して組み上げていく。
毎朝、新宿や渋谷に集合して、バスに乗って現場に向かう。
みんなで同じ釜の飯を食い、仕事を終えたらまたバスに乗って帰る。
数ヶ月の撮影が終わったら、数年後の再会を誓って解散。
監督やプロデューサーはその後、編集や音楽、音響チームと一緒に映画を完成させていく。
その様子はさながら、内装や家具を整えていく作業だ。
映画のプランの発端から完成まで、短いものだと2年、長いものだと5年くらい。そのスパンもどこか建築と似ている。
僕は建築家の友人が多いのだが、それはお互いの仕事がどこか似ているからだと最近気づいた。