第26話 馬と私の、嘘のような本当のはなし
小説『私の馬』を書くにあたり、100頭以上の馬に会いにいった。
驚くほど、どの馬にも個性があり、それぞれの馬との思い出がある。
そのなかで、不思議な体験がいくつかあった。
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岩手、遠野で馬を引きながら一緒に山道を歩いた。
道の途中で、馬が立ち止まる。
日が暮れ始めていた。
焦れて、行くよ、と綱を引く。
けれども、500キロある巨体はテコでも動かない。
行こうよ! と声を張る。けれども馬は尻尾をのんびりと動かすばかりだ。
僕は諦めて、馬の体を撫でながら待った。
馬の様子をじっと見つめて、呼吸を合わせ、そろそろいいかなと心で会話し、気持ちが揃ったタイミングで声を掛けると、まるで体重がなくなったかのように軽く綱が引けて、馬が歩き出した。暮れなずんでいく森に吹き抜ける、心地よい風を感じた。
コミュニケーションの本質が身に染みた。
いかに僕たちが日常において、言葉で命令し、力づくで他人をコントロールしようとしているか。自分のペースで誰かを無理やり動かすことができると、勘違いしているか。
大切なのは、相手の様子をちゃんと見ること、気持ちが同じ方を向くまで待つこと。
それは馬も人間も同じなのではないかと思うようになった。
東京郊外の乗馬クラブで馬に乗った。
その馬はとても勘がよく、馬場をすいすいと進む。
右に行きたい時は手綱を右に、左に行きたい時は左に。
教わった通り手綱を動かすと、馬がそちらに進む。
馬と呼吸を合わせているうちに気づく。
右に行こうと僕が思うより”少し先に”馬が右に曲がっているのだ。
左に行こうと思うと、それより”少し先に”馬が左に曲がる。
そのうち、わからなくなってきた。
もしかして、僕が馬を動かしているのではなく、馬が僕の行きたい方向を決めているのではないかと。