萌え絵批判はアンチオタクの断末魔
数年前の話ですが、「宇崎ちゃん献血ポスター」という問題がありました。
漫画『宇崎ちゃんは遊びたい』と日本赤十字社がコラボしたキャンペーンで、巨乳で可愛い女の子が献血を呼びかけるイラストが一部で「過度に性的ではないか」と批判を受けたものです。
その後も定期的に「公共の場で萌え絵を掲示するのは如何なものか」的な言説が見受けられます。
私見ですが、こういった萌え絵批判はアンチオタク派最期の断末魔ではないか、と思っています。
個人的な経験を話します。
私は1980年生まれ。『新世紀エヴァンゲリオン』の放送開始が95年。そのときちょうど15歳でぎりぎりサードチルドレンになれなかった世代です。(エヴァパイロットは14歳しかなれない)
ものごころついた頃からオタクでした。ジャンプが黄金時代を迎え、ファミコンが席巻している時代に少年期を送りましたので、貪るようにコンテンツを楽しんでいたのを記憶しています。
そんな天雲少年はやがて成長し中学生になるわけですが、ここで最初の挫折を経験します。
立ちはだかるスクールカーストです。
私の生まれ育った場所は地方都市だったので、80年代ヤンキー文化の香りが色濃く残っていました。東京リベンジャーズどころではなく、氣志團の綾小路翔さんみたいな不良がガチで存在していました。入学式の日、長ラン+リーゼント+鴉マスクの先輩に絡まれて震え上がったのを憶えています。それまで『ちびまる子ちゃん』の世界観で生きてきたのに、いきなり『特攻の拓』ワールドに飛ばされてしまったわけです。
"!?“
ヤンキー>スポーツマン>ガリ勉>>>>>オタク
これが思春期における絶対的なカーストでした。当時はまだ根強いオタク蔑視があり、半ば犯罪者予備軍のように扱われていました。運良くJリーグブームだったことも影響してサッカー部を選んだので、私はぎりぎりスポーツマン枠に入ることができましたが、しかし常に強い危機感を持っていました。オタクであることが明るみにでると転げるように坂道を落ちてしまい底辺を彷徨うことになる。オタク趣味は日陰で楽しむもので、ひた隠しにしなければいけない。これが基本的な価値観でした。
しかし、時代は変わります。
Yahoo!BBがモデムを押し売りし、インターネットが普及し、『電車男』が流行語になり、秋葉原で『ハレ晴レユカイ』を踊り狂ったあの時。偏見という名の岩盤を割ってオタク文化という大輪が遂に咲き誇りました。
2010年頃でしょうか、市場調査として大学生にインタビューをしたことがあります。その結果は衝撃的なものでした。
「『けいおん!』は高校のクラスメイトみんな見てましたね。
放送翌日、学校はその話題で持ちきりでした」
オタク冬の時代を過ごした自分にはにわかに信じがたい話でしたが、その後の世の中を見るにつれ、確かに世界は変わったのだと感じることが出来ました。
いまやオタク文化は日本のデファクトスタンダード。
このnoteではわかりやすくするために敢えて【萌え絵】【オタク】という言葉を用いていますが、令和六年、これらのワードはとっくに死語になっています。日本発のイラストはみんな広義の【萌え絵】で、日本人の大多数は広義の【オタク】なので、いまさらそれらをカテゴライズする必要も無くなったわけです。
冒頭に戻るわけですが、それでもまだ一定のアンチオタク層はいます。
おそらく私と同じ世代か、それよりも上の世代。彼ら彼女らはこの日本にパラダイムシフトが起きたことに気付いていない、あるいは起きたと認めたくない人たちで、断末魔の悲鳴をあげているわけです。あと10年、20年もするとそんな声も聞こえなくなり、もはやオタクvsアンチオタクという論争も過去の愚かな争いのひとつに加えられると思います。
もうひとつ、私には未来予想があります。
この日本で起きたパラダイムシフトは、おそらく全世界で起きる、というかもうすでに起きているということです。
すでに東アジア地域でオタク文化は一般化し、欧米も染まりつつあります。15世紀、新大陸で発見されたタバコはわずか100年で全世界で伝わったといいますが、オタク文化はそれよりも速く地球全土を飲み込もうとしています。1億オタク社会はおろか、60億オタク社会が到来しようとしているわけです。
私たちVISUAL ARTSもオタク文化担い手のひとりとして、来るべき新時代の到来に貢献していきたいですね。
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