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生きるスイッチオン!

昨日僕がとても毎回刺激をもらっているぐるんとびーのオンライン勉強会に出ました!

今回は湘南で在宅STが叫ぶ
死んでもいいから食べたい

そんなタイトルだったかな?笑
間違えてたらすいません

でも本当に死んでもいいから食べたい
その意味がとても伝わった勉強会でとても勉強になりました


食べさせられると食べるということ

僕も病院では、鼻から管が入った人や、胃瘻を造設される方など食事が口から食べられない人を多く見てきました

身体に栄養が足りないから栄養剤を直接胃に入れて栄養を摂取する

栄養を摂取することで食べる力を手に入れるという理由もあったりするんですが、実際に働いていて管から口から食べるに変わっていった人って
僕はあまり見てこなかった
というかほとんど胃管のまま退院されることが多かった

でもその中でも、胃管が入っていてもSTさんが頑張って口から食べるように少しずつ始めて、始めて口から食事を取った時からものすごい速さで胃管じゃなくなった人を見て

やっぱり食べさせられるより食べるって大事なんだな
ってとても実感したことを思い出しました

口から食べるって大事


その人が生きたいを支える、それが死ぬかもしれなくても

誰でも食べることが大好きっていう人はいないとは思いますが、多くの人は好きな食べ物があって
それをずっと絶食で我慢させられてた分口からようやく食べれた時
とっても嬉しい!って感情のスイッチが入る

それがやっぱり生きていく上でとても大切で、嚥下機能(飲み込む力)が衰えて医師などから口からは食べれませんと言われてしまっても
食べるか食べないかを決めるのはご本人です

ご本人が生きたい、食べたいと思うのであればそれを全力でサポートするのが僕ら医療職で
食べるを機能としてではなく、食べたいという欲望形成支援をして生きるスイッチを押すことが大切

でも死ぬかもしれないということは拭いきれない事実

それでも僕らはサポートしなくてはいけませんが、家族が良くても親戚が手のひら返して訴えてくるかもしれない

そういう不安や恐怖と闘っているのも事実だなぁと知りました


ぶっ飛んだ看護もあっていいんじゃね?

僕ら医療者はこうすることで生活がもっと良くなる!
こうすると死ぬかもしれないからやめときましょ

などいろいろな指示と言われることをすることがあります

でもそれは利用者や対象の人が望む形であればいいんですが、その人の生活や人生に制約を与えることがある

だったら、僕はこう制約するんじゃなくて、その人が死んでもいいからやりたいということや、その人がこう生きたいと思うことがあるんだったらそれを支えて、本当に何かあった時に対応できるのが医療者のするべきことなのかもしれない

もちろん死ぬかもしれない
でもその人がその覚悟があれば、その手伝いをするのが僕ら医療の力
普通の人にはできない僕らだけに与えられた力

だからこそ使わない手はないなと

僕は祖父が亡くなった時に、何かしたいとかどう生きたいかとか聞くことができなかった
最後は意識がなくなっていて、ただただ心臓マッサージをされているところを見て神様に祈ることしかできなかった

そう思うとどうせ死ぬなら全力で生きたいと思っている人がいるのなら、それを全力でサポートしたいし、させてほしい

時にはそういうエゴも必要なのかもしれない

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