或る阿呆の一生


「本は読むタイミングによって捉え方が変わる」
なんて言葉があるが、私はよく分かる。
中学生の時に格好つけて読んだ表題のエッセイ的短編集が、今の私を形作るものの一つだろう。
飽き性な私だが、私の血肉となったものに関しては何故だか永遠に残っていくような気がしている。

まぁまた読んでみたから、恥ずかしげもなく真似てみようかと思う。


視線

彼は外で眼鏡をつけなかった。
彼に集まる視線に耐えられなかったからだ。
だが、本当は視線なぞ集まっていないのかもしれないことを、彼は知っていた。
それは彼が、彼自身が視線が集まっていることをまた、望んでいるかもしれなかったのだ。


才能

「創作とは、別次元からの移行に過ぎない」
ドラァグストアの前で彼はふと、本当にふとそう思った。
それは彼にとって、彼の才能の一部がついに開花した瞬間であるように思えた。
30近い彼にとってそれは、無常の歓びであった。
だが彼は同時に、悍ましい恐怖を覚えた。
「天才と狂人は紙一重」
彼は自身を知ると同時に、深淵へと歩を進めていた。


瘡蓋

その仕事は、彼にとって苦痛以外の何者でもなかった。
彼の左目が瘡蓋で荒れているのは、そのストレスに依るものかもしれなかった。
だが、彼はその醜い瘡蓋さえも愛していた。
彼は、彼自身が歩んだ苦痛さえも愛そうとしていた。
いや、愛さなければならなかった。
彼自身の生を容認するために……。


タァコイズブルー

彼は臆病だった。
先天的なものか後天的なものかは不明だが、少なくとも彼は、彼自身を表現することにあまりにも臆病であった。
だが一点、彼は他人の見えないところに、彼の靴下の中に彼らしさを表現した。
そのタァコイズブルーに塗られた爪先に、彼は世俗に対する抵抗を表現した。
それは自身を卑下することで安寧を得ていた彼にとって、唯一の反逆であった。


希望模様の絶望

「早起きで1日の時間を増やせる」

彼にはぼんやりとした夢があった。
ただ、彼も例に漏れず何かを成し遂げるという地道な努力が苦手であったために、そのぼんやりとした夢はいつまでも夢のままであった。
彼は、その何気ない動画の言葉に縋るような期待を寄せた。

「朝早く起きて活動するためには、ワクワクして眠れなくなる程の夢を持つことが大切です」

そこにあったのは救いではなく、今まで彼を散々苦しめてきた希望模様の絶望であった。


蜜柑

彼は芥川龍之介の作品が好きであった。
特段『河童』の中に、彼は芥川龍之介の世界を見出していた。
だが彼はまた、憂鬱な陰を落とすばかりの芥川の作品に辟易もしていた。
しかし彼は同時に、『蜜柑』の中に芥川の美しさも見出していた。
どんよりとした空の内に映えるオレンジ色の幻影が、彼にとっての幸福なのだろう。


張り子

「常に完璧でなければならない」
彼は、彼自身にこういった強制的な期待を投げかけていた。
いや。
投げられかけ続けた結果、彼自身もまたその呪縛から逃れられなくなっていた。
だがいつしか彼は、それが不可能であることに気づいていた。
「人間の本質は変えられない」
これが、彼の導き出した結論であった。
だから彼は、表面だけを完璧に拵える技術を手に入れた。
故に彼は、誰よりも完璧な外観を目指し続けた。
だがそれもまた、彼が心底欲しいものでは無かったため、それすらもまた完璧に仕上げることができていなかった。

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