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ニーチェに学ぶ:組織やキャリアにおけるアポロン的、ディオニソス的なもの
フリードリヒ・ニーチェは、1872年に「音楽の精神からの悲劇の誕生」という著作を書き、そこでアポロン的なものとディオニソス的なものの対立構造を示した。概要はコトバンクの定義を参照するとわかりやすい。
ギリシア神話の酒神ディオニソスのうちに示される陶酔的・創造的衝動と、太陽神アポロンのうちに示される形式・秩序への衝動との対立を意味する。すでにシェリングは、内容が形式に優越する詩と、両者が調和した本来の詩との対立を、またニーチェの師リッチュルは笛(ギリシア語でアウロスaulos)と竪琴(たてごと)(ドイツ語でキタラKithara)との対立を、この対概念でとらえている。しかしこの対概念が広まった機縁は、ニーチェの『音楽の精神からの悲劇の誕生』(1872)である。すべてを仮象のうちに形態化・個体化する造形芸術の原理としてのアポロン的なものが、個体を陶酔によって永遠の生のうちに解体する音楽芸術の原理としてのディオニソス的なものと結び付いて、ギリシア悲劇が誕生する。それはいったん楽天的・理論的なソクラテス主義によって滅亡したが、ワーグナーの楽劇のうちに再生すると若いニーチェは考えた。ただし、後年のニーチェはこの対概念を用いず、永遠に創造し破壊する生の肯定という彼の哲学の核心を、ディオニソス的と規定している。
アポロン的、ディオニソス的、という言葉はそれぞれ深掘りしがいのあるテーマであるが、ここでは深く立ち入らず、一旦「アポロン的なもの=秩序」、「ディオニソス的なもの=情動、カオス」という対比で捉えておくこととする。
この対比は現代でも至る所で目にすることができるもので、組織や個人を理解する上で示唆を与えてくれる。
企業におけるアポロン的、ディオニソス的なもの
起業家精神はディオニソス的である。新しい事業はディオニソス的なものから始まる。事業が拡大していくと組織も拡大していき、多くのステークホルダーを巻き込みながら計画的に事業を運営していく必要が出てくる。事業に秩序をもたらすことが求められるため、アポロン的なものにどんどん置き換わっていく。
大企業は、計画を立てたり、その計画の進捗を測ることや組織間の調整にばかり時間を使っているという批判が出ることがあり、その指摘はある面では正しいのだが、大きくなった組織を計画や調整ゼロでコントロールすることは難しい。大企業になれば、アポロン的なものを軸に秩序だった組織コントロールを行う構造になる。大きな事業、大きな組織はアポロン的である。
しかし、大企業がアポロン的な運営を突き進んでいくと成長が停滞し、いつかは市場から淘汰される。いわゆる「イノベーションのジレンマ」が発生し、「合理的な企業行動であるにもかかわらず、失敗に向けて突き進んでしまう」状態に陥る。
そのジレンマから抜け出すためには、アポロン的なものが優位になった大きな組織に、ディオニソス的なものを持ち込んで新規事業の種を仕込んでいく必要がある。しかし、アポロン的なものが優位な組織においてディオニソス的なものを根付かせることは容易ではなく、数々の大企業が「新規事業戦略」を立てて大失敗をしてきた。
アポロン的なものとディオニソス的なものを、同じ組織の中で並存させるための考え方として近年注目されているのが「両利きの経営」だ。組織の中に両者を完全に融合させることは目指さず、大組織の中に小組織を作り、大組織が小組織をコントロールするという体制を作らない。両者には別の生態系とインセンティブが存在するという前提に立ち、組織設計と戦略実現を目指す考え方である。
両利きの経営で重要なのは、「アポロン的な論理でディオニソス的な考えを評価・判断する体制を作らない」という事である。大企業の論理で考える人間は、起業家の論理で考える人間を正しく評価できず、前者と後者には優劣の関係はないのにも拘わらず、大企業では前者の勢力が大きいため後者が追いやられがちな傾向になってしまう。その構造を理解し、両者を一定分離して組織に双方を生息させる環境を作るのがポイントである。
その環境整備を実行し、アポロン的なものとディオニソス的なものを両立させた大企業は非常に強い。有名な日本企業の事例として、富士通がある。富士通は大企業でありながら、写真のデジタル化という一大変化を捉え組織構造を改革し、事業の軸を移しながら更なる成長を遂げたが、写真フィルム業界の雄であったイーストマン・コダックは環境変化に適応できずに倒産に陥った。日本以外の事例では、最近ではマイクロソフトも好事例に入るだろう。
個人のキャリアにおけるアポロン的なもの、ディオニソス的なもの
個人のキャリアにおいてもアポロン的なもの、ディオニソス的なものの双方が存在し、そのバランスや組み合わせが重要となる。
一般的には、各人は自分のキャリアの目標を定めるべきだと言われることが多い。例えば「5年後に○○業務でマネジャーレベルを務められるようにする」といった具体的な目標を立て、そこから逆算して足元の目標や取り組みを考える、といったことが推奨されるということである。これは秩序だったキャリア構築の方法であり、アポロン的なものであると言える。
一方で、自分の中にある情動に基づいてキャリアを作っていくことの重要性も指摘されている。最も有名なのはクランボルツによる「計画的偶発性理論」であろう。心理学者のクランボルツはビジネスの成功者のキャリアを調査し、そのターニングポイントの8割が、本人の予想しない偶然の出来事によるものだったことを発見した。その発見を軸に提唱したのが計画的偶発性理論である。
計画的偶発性理論においては、以下の5つの行動特性を持つ人に成功するキャリアを掴むチャンスが訪れやすいとされている。
好奇心(Curiosity):新しいことに興味を持ち続ける
持続性(Persistence):失敗してもあきらめずに努力する
楽観性(Optimism):何事もポジティブに考える
柔軟性(Flexibility):こだわりすぎずに柔軟な姿勢をとる
冒険心(Risk Taking):結果がわからなくても挑戦する
5つの行動特性が、秩序や計画を崩し得る要素であることに注目しよう。いずれも、各人の心の中に宿っている衝動を軸に、計画から外れる行動に繋がるものであり、ディオニソス的なものである。
企業における話と同じように、個人のキャリアを考える上でもアポロン的なものとディオニソス的なもののどちらかを選択すべき、という単純な話ではない。キャリアが偶発的に決まり得るといっても、普段から計画性ゼロでプラプラしている人が急に重要なキャリアの転機を迎える、という事ではない。普段はある程度の計画性を持ちながら着実に梯子を一歩一歩登るという、努力の累積を重視しながらも、転機が訪れた際には足をかけていた梯子に固執せず、一気に別の梯子に飛び移ることが重要という話である。要は両者を並存させながら、バランスとタイミングを図ることが求められるということだ。普段はアポロン的、いざという時にディオニソス的、という言い方が近いだろうか。
アポロン的なものとディオニソス的なもの、この両者を如何に混在させるか。特に、アポロン的なものを重視するとディオニソス的なものは抑圧される構造になりがちな中、アポロン的なものを採用しながらもディオニソス的なものを失わずにアポロン的なものを牽制させながら存在させるにはどのような工夫が必要か。こういった問いを常に持ちながら物事を観察し、実践していくことが肝要である。