情報に濃淡をつけられていないのなら知らないのと同じ
情報を知っていること、基本的にそれ自体には価値がない。スマホ、グーグル、ChatGPTがある現代において、調べようと思えば一瞬で調べることができるからだ。インサイダーしか知らない情報は、未だに情報単体で価値がつくが、フラット化する世界でそういった領域はどんどん狭くなっていっている。
そういったインサイダーしか知らない情報を除き、情報に価値がつくのは、その情報が「重要なのか、重要ではないのか」という情報の濃淡というフラグがつくことによってだ。あえて単純化すれば、
情報の価値=情報×濃淡フラグ
という構造になる。
ここで重要なのは、その情報が「重要なのか、重要ではないのか」は絶対的には決まらない。どんな時も絶対重要な情報なんてものがあれば、誰もが欲しがる。つまりその情報は単体として価値がつく。しかし冒頭に書いたとおり、そんな情報は殆ど存在しない。
殆どの情報は、「いつ、いかなる文脈で」「重要なのか、重要でないのか」を考える必要がある。特定の文脈において重要な情報も、他の文脈に置き換わると途端に重要さを失う。この「重要性のアービトラージ」を理解することが、情報を上手く扱う際に肝要だ。
つまり、「価値ある情報を提供する」とは、実は情報を提供しているのではない。「情報をどのように評価して、活用すべきか」という「示唆」を提供しているのだ。
よくあるのは、「この情報が重要だ」という話をすると、「その情報は知っている」という返答をもらうケースである。その情報を知っていたとしても、その情報に今現在の文脈に則した重要性評価を下せていないなら、つまり濃淡をつけられていないなら、その情報は知らないに等しい。
情報とその重要性は、常にセットで考えることが大切だ。