難しい本を読む時に意識していること
私は、アマチュアとして好き勝手に様々な本を読んでいるに留まっているため、読んでみたいな、理解したいなと思った本が自分の手に余る難しさで、読むのを断念したくなる時が結構ある。プロの研究者や、「知の巨人」のような通り名がつけられているような教養人には知識量も思考力も到底及ばないので、そういった人たちが読んでいる本に興味を持って手に取ってみても、全然頭に入ってこないことも良くある。
そのまま普通に諦めてしまうこともあるのだが、少しガッツを出して1/10くらいでも理解できないかなと、粘りを見せることもある。そんな粘りを見せる時に考えるようにしているのは、「著者が探求している根源的な問いを捉える」ことだ。
自分の考えていることを言語化し1冊の本として仕上げるという行為は、とんでもない労力とエネルギーを要する。本を書いた人は人生の貴重な時間を大量に投下して、その本を世に送り出しているのである。何故そんなに大変な思いをしてまで本を書くのか。それは著者が追いかけている大きな問いがあり、その問いを読者に投げかけたり、その問いに対する著者なりの意見や考えを読者に伝えるためではないだろうか。そう考えてみると、ある本を理解するにはその裏にある問いを明らかにすることが非常に重要である。
しかし、難解な本を読んでいると論旨が追えなくなってきて、そもそもその著者がどんな問いを提示しているのかを見失ってしまうことが多い。本を読んでいて「わからない!」と思ったら、「著者は何を問うているのか?」を再確認してみる。著者の提示する根源的な問いに立ち返り、そこに立脚して本に向き合ってみると、複雑な論旨も実は1本筋の通った構成であることが浮かび上がってくることも多い。
私は現在、2人のデヴィッドによる著作「万物の黎明」を読み進めているが、既に第6章に入っているにもかかわらず、未だにすぐ論旨を見失う。人類の進歩史観的な歴史の捉え方を根底から覆すことを目的としている本書は、著述のスタイル自体も実験的である。あらゆるエビデンスを出しながら誤った歴史観を訂正していく構成で、時には遊戯的とすら言える独特のスタイルで書かれている。私のようなアマチュアには、話があちらこちらに飛んでいっているように感じられ、1つの章を読み終えても「面白かったけど、結局この章で何が言いたかったんだっけ?」という読後感を持ってしまう。
しかし、あちらこちらに話が飛んでいく(ように少なくとも私には感じられる)スタイルは置いておくと、提示している問いは非常にシンプルで、「これまでの私たちの人類史観はあまりに直線的かつ閉塞的ではないか?」ということであり、その問いに対するアンサーとして、「本来は先史より多種多様で実験的な社会が展開されてきた」ことをあらゆる側面から説明している本なのである。この根源的な問いから、サブの問いがいくつも分岐し、それら問いを各章で詳細に展開しているという構成だ。このように本書を捉えると、一気に見通しが良くなって読みが進みやすくなる。
著者の問いがすぐに特定できない時には、その本が書かれた背景をネットで調べてしまうのも有効な手である。信頼性の検証は必要だが、プロンプトを工夫してChatGPTに聞いてしまうのもアリだ。末尾に識者による解説がついていれば、先に読んでしまうと役に立つことも多い。論旨が追えなくなったら、とにかく問いに立ち返る。その問いをアンカーにして、その本の構成や展開を捉える。これを徹底することで、自分にとって難解な本を少しだけ手元に手繰り寄せることができる。