多作の重要性:質を語る前にまずは量をこなす
歴史に名を残すようなクリエイターは多作であると言われています。有名なのはピカソで、生涯で約15万点の作品を生み出しており、最も多作な画家としてギネスに認定されているほどです。
日本でも、秋元康さんや安藤忠雄さんは多作です。例えばこちらの記事では、安藤忠雄さんは約50、秋元康さんは約100ものプロジェクトを同時に動かしていると話しています。
では、なぜこれほど多くの仕事を同時にこなしているのでしょうか。先ほど取り上げた記事の中で、安藤忠雄さんと秋元康さんは、次のように語っています。
お二人の会話から読み取れるのは、人のクリエイティビティやオリジナリティというものは、自然と溢れ出てくるものだということです。「クリエイティブになろう」「オリジナリティ溢れる作品にしよう」と肩に力が入っている状態で取り組んだ仕事はぱっと見は独自性のあるものに見えるかもしれませんが、いかにも「ほらほら、他とは異なるでしょう」という感じが前面に出てしまうので、どこかぎこちなさを感じてしまったり、他者との違いが強く意識されるあまり、逆に他者の色が透けて見えてしまったりして、本当の意味で独自性のある仕事にはなりにくい。
しかし、仕事を沢山こなしていくと、それら「仕事群」を通じて自分なりのスタイルやその人の独自性が自然と浮かび上がってくる。それは他人にも見えることであると同時に、自分で過去の仕事群を顧みることで、自分自身の独自性を発見することでもある、ということです。
秋元康さんの言葉を借りれば、「自分の潮流」ができる。この「潮流」こそが、自分なりのスタイルを形成するものだということになります。
沢山の仕事をこなしていくと、こうして「自分の潮流」を掴むことができ、そうすると次の仕事ではその潮流を活かして取り組むことができます。そうするとその仕事は、自分のスタイルがより濃く反映されたものになる。そういった仕事群が積みあがってくると、更に「自分の潮流」がはっきり見えてきて、その次の仕事では更に独自性の高い取り組みへと昇華させることができる。こういった好循環を生み出すことができるということかと思います。
完璧主義に走らずに、とにかく量をこなす「多作主義」に走ってみる。そこから自分のスタイルを見出す。そうした仕事量に裏打ちされた、独自の仕事をできるようにしていく。荒削りのものを世に送り出すことを恐れずに、このサイクルをどんどん早めていくことを目的として多作し続けることが、自分なりの質の高い仕事をするための重要条件だと考えます。