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優れた人になるということは、「普通」から外れるということ

「優秀な人」「優れた人」に自分がなりたい、もしくは自分の子供など周りの人にそうなってほしいと思う人は多いだろう。一方でそういう人たちの多くは、「普通」や「常識」から外れたくない、外れてほしくないと考えているように思う。

つまり、「普通の範疇」「常識的な範疇」にありながら、「優秀な人」「優れた人」になりたい、もしくはなってほしいと考えていることになる。しかし、この2つの考えは本来両立しない

正規分布で考える

試験の偏差値でお馴染みの正規分布で考えてみよう。いわゆる「普通」は正規分布の0、偏差値でいえば50の位置にあたる。50から離れていけばいくほど、「常識の範囲」からは外れるわけだ。

偏差値70の人は2σ、つまり全体の5%以下。偏差値80の人は3σ、つまり全体の0.3%以下である。

偏差値で優秀さを図ると仮定するなら、偏差値70や80を取るような人は「常識の範囲」を超えている。つまり「普通」ではなくなる。「優秀」とは「普通より優れていること」であり、優秀さと普通さは両立し得ないのである。

出典:https://avilen.co.jp/personal/knowledge-article/normal-distribution/

優秀さを求めるなら、「普通」からどんどん離れていくことを許容すべき

優秀であることは普通から外れることになる。であれば、自分が優秀な人になろうとするとき、他人に優秀な人になってほしい時、「普通」に留まることを求めてはいけない。

むしろ、積極的に「普通」から離れるべきだ。「普通」ではないことを許容し、「普通」ではない行為や思考を促進することが求められる。

しかし、一般的な教育や研修は「普通」の延長線上に「優秀さ」を置いていることが多い。確かに、型を極めてから自由形を体得するという「守破離」的な考え方は重要だが、「普通」を追い求めることを前提に置くこととは異なる。

「普通」からどんどん離れていくこと。これを怖がらずに前向きに捉えることが、優れた人になる一歩であると私は考えている。

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