「仕事だからやる」という姿勢の価値
「仕事だからやる」という言葉はなぜか評価されない
「やりたいことだからやっている」という「好きを仕事にしている」ことは前向きに評価される。一方で、「仕事は仕事だからやっている」ということは評価されにくい。
これには、そもそも仕事はやらされるもの、辛いもの、ネガティブなものというイメージが前提にある。そんなネガティブな仕事を、自分の「好き」に置き換えているから、「好きを仕事にしている」ことが高く評価されるのだろう。
しかし、私は大抵の人にとって「仕事だからやる」という姿勢は極めてポジティブなものであると考えている。「好きを仕事にする」よりも「仕事だからやる」の方が人生が好転するとさえ思っている。
「好き」は仕事に価値をつけない
過去にも以下の記事で同様のことを説明したが、働く人の「好き」という気持ちは、仕事に一ミリも価値を付けない。
仕事は、顧客のニーズがあり、それを充足することで初めて成立する。顧客にとっては、ニーズを充足してくれる人がその仕事を好きかどうかは、究極的には関係がない。ニーズを充足してくれるかどうか、その1点のみが顧客の問うていることである。
故に「仕事だからやる」という姿勢には価値がある。仕事がそこにあるということは、誰かがその仕事を求めているということだ。誰かのニーズを充足する活動に真正面から取り組む。これはその仕事をする人の価値を最も高める方法だ。「仕事だからやる」という姿勢はその基本を押さえている。
「仕事だからやる」人は、「習慣とアウトプット」を信じる
「好きを仕事にする」場合には、仕事の取り組み方は「自分が好きかどうか」が軸になる。「仕事だからやる」場合には何が軸になるだろうか。「習慣とアウトプット」である。
つまりはこういうことだ。顧客のニーズを満たす、即ち成果が出るための習慣を続けられるかどうか。顧客を満足させるに十分なアウトプットが出ているかどうか。これを問い続ける。
習慣とアウトプットの双方を見るのがポイントだ。習慣だけでは、アウトプットに繋がっていないかもしれない。アウトプットだけでは、日々の行動が定まらない。2つがセットで、「顧客ニーズを満たす」ための軸になる。
シンゴジラの財前正夫を目指す
映画「シンゴジラ」において、映画のクライマックスに近いシーンで、自衛隊の統合幕僚長、財前正夫による「礼は要りません。仕事ですから」というセリフがあった。このセリフが心に響いた人が多かったと聞く。
これこそまさに「仕事だからやる」というスタンスだが、ここにカッコよさや凄みを感じる人が少なくなかったということ。「仕事だからやる」は、顧客ニーズを満たすだけではなく、極めていけばその姿勢自体に魅力を感じられるようになるのだ。