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俺がGenjiだ! 第III章 「天才アーティスト、Yさん」

第III章「天才アーティスト、Yさん」 

今回は1976年10月5日、新宿ロフトのオープニング・セレモニー・ライブ時のお話。

現在は新宿の歌舞伎町に移転してしまった新宿ロフトだが、スタートは北新宿だった。 オープニング・セレモニーは10月1日から始まり、10日間近くも催された。 10月5日のメインアクトは吉田美奈子とYさん。
そのライブには僕は吉田美奈子のグループで参加していた。 ゲストにはギターとコーラスで山下達郎。

当時の僕は、ジャズに深く傾倒していたので、ジャズ以外の音楽に関してはあまり興味は持っていなかった。しかし、山下達郎や吉田美奈子といったニューミュージックと呼ばれる新たな音楽ムー ブメントを起こす若者と付き合うようになって、考え方が少しずつ変わりつつあった。 徐々に、ジャズ以外の音楽にも魅力的なものはたくさんある、いや、ジャズよりも自由で革新的で 刺激的な音楽がある、と言うことに気が付き始めていた。

そんな中、Yさんの音楽を目の当たりにした時に自分が感じた衝撃は半端なものではなかった。その時のことは今でも鮮明に蘇ってくる。 大袈裟な言い方かもしれないが、その日、新たな音楽文化の芽生えの瞬間に立ち会った生き証人の ような感覚を覚えたのを覚えている。

音楽仲間の間でもYさんの事は噂になっていた。若手の凄いアーティストがいて、音楽自体がすごく ユニークで、ピアノも半端なく上手い、と言うものだった。 僕としては、名前は知ってはいたが、音楽を聴くのも、演奏を見るのもその日が初めてだった。また、共演者がYさんだと言うのも、お店に行くまで知らなかった。

当日、新規開店した新宿ロフトのお店に入るべく地下への階段を降りていくと、 凄いジャズ・ピアノの演奏が聴こえてきた。音に導かれるように店に入っていくと、「どこのベテラン・ジャズ・ピアニストが弾いているんだ」と思わせるくらい、聴いていると、ジャズ・サウンドがものすごくカッコいい。 そして、そのサウンドと一緒に少し不思議な歌も聴こえてくる。 聴いていると、歌は日本語だし、メロディーはよく知っている昭和歌謡だ。「なんだこれは、これまでに聴いたことがないサウンドだ」しかし、いつの間にか、その歌とジャズ・サウンドとのアンバランスな融合と音楽全体から発せられる強烈な個性に魅力を感じ始めていた。そのYさんのリハーサルを食い入るように最後まで見てい る自分がそこに居た。
凄い、と言う言葉では表現できないほどインパクトがあった。

歌は、上手いというよりも、味があるというか、個性的というか、今まで聴いたことがない歌い方、洋楽ではなく邦楽の流れを持っているのだが、その奇妙なバラン スが独特な魅力になっていた。ピアノは、ジャズの流れを汲むサウンドなのだが、コンテンポラリーというよりもモダンで、これも個性的。歌がない時はジャズ・クラブでジャズ・ピアノを聴いているような錯覚に陥る。 いやー、まいった、自分の好き放題にやったらこんなんなっちゃいました、という感じ。カッコイイ、と言うか、やられた、負けました、と言うのがその時の僕の印象。

Yさんのリハーサルが終わって、吉田美奈子からYさんを紹介された。思わず、
「凄いですね、ジャズはどこで勉強されたのですか」と聞いてしまった。するとYさんは、「ジャズは好きですけれど、勉強したというよりも、自己流なので恥ずかしいです」という答えが返ってきた。
自己流であれだけ弾けるのは天才以外の何物でもない。その時は未だ、彼女の音楽が将来日本でどれだけ支持されていくかは、想像もつかなかったが、いずれ日本の音楽界を代表するようなアーティストになるような予感は感じていた。

吉田美奈子のリハーサルの後に全員でのセッション用リハーサルがあった。 Yさんはピアノを弾きながら参加するのだが、吉田美奈子が「一緒にやるんだからYさんもコーラスを一緒にやろうよ」と言った時のことだ。「わたし、コーラスやったことないんです、それに美奈子さんみたいに歌が上手くないから自信が ないなあ」と言う意外な返事が返ってきた。
それに対して、吉田美奈子は、「出来る、出来るって、それに、なんでも挑戦、挑戦、Yさんほど才能があればすぐに出来るから」と、結局Yさんもコーラスをやることになった。現在のYさんの活躍ぶりを考えると、この時に、こうしたやりとりをしたことが嘘のように思える。

本番が始まった。
Yさんのステージは1時間弱。最初から最後までずっと聴いていた。
凄い、凄い。
これまでに聴いたことのない歌とサウンドが展開されていく。
お客さんも凄くノっている。
圧巻は昭和初期のヒット曲「丘を越えて」だった。
夢があるし、明るいし、楽しい。
しかもサウンドは何故かジャズもどき。自分流に、変拍子もあれば、オリジナルのコード進行とはだいぶ違う。あの昭和歌謡が、自由で楽しいYさんサウンドに変貌している。しかし、こんなにも楽しい曲なのに、ずっと聴いていると切なくなって、なぜか感動してくる。その不思議な感覚と、才能溢れる歌と演奏に圧倒されたステージだった。
その後のセッションも楽しかった。

Yさんの音楽は日本の風土で生まれ育まれて、Yさんの音楽は日本の風土で生まれ育まれて、そこに西欧のスパイスが盛り込まれているのだ。本人はそんな意識は全く持っていないのだろう。ただ、感じるがまま、自然に自分の中から湧き出 てくるのだろう。そこに西欧のスパイスが盛り込まれているのだ。 本人はそんな意識は全く持っていないのだ。ただ、感じるがまま、自然に自分の中から湧き出 てくるのだろう。

彼女は唯一無二のアイデンティティーを形にすることができる音楽家なのだ。 その上、作為的ではないし、売れるために媚びているわけでもない。 こんな音楽家が日本にいることに僕は誇らしく思った。その時、今後の彼女の活躍を大きく期待したのを覚えている。後で知ったのだが、この時の彼女の年齢は若干21歳。


Yさんこと矢野顕子さん。
その後、シンガーソングライターというよりも、音楽家として世界的に活躍している。 今でも色褪せないサウンドとメロディーと歌。日本の音楽の歴史に大きな足跡を残した、と言っても 過言ではないだろう。

                              沢井原兒

Podcast番組「アーティストのミカタ」やっています。

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