「作品と個人は別もの」であり、「リアル」と「バラエティ」もまた別ものである
「作品と個人は別もの」
これは先日、東映の社長である手塚治氏が述べた言葉である。
今まで、犯罪を犯した俳優などが出演した映画やドラマはカットされたり、放映中止になっている。
沢尻エリカ氏が逮捕された時には、数々のドラマやCMが放送中止になり、賠償金は5億円を超えるとの報道も出た。
今回、伊勢谷友介氏が大麻所持により逮捕され、ドラマやCMが打ち切りになる中、
東映の映画『いのちの停車場』は本編ノーカットで公開することになった。
このことには賛否両論があるが、僕自身の考えは東映に賛成である。
手塚治社長の「作品と個人は別もの」という考えはとても正しいと思う。
まず、俳優とは何か考えたい。
wikipediaによると、
俳優とは演劇・映画等において、その人物に扮して台詞・身振り・表情などで演じる人のこと。またその職業。役者(やくしゃ)とも呼ぶ
つまりは役を演じる人であり、作品に出ている役は本人であって本人では無いのだ。
ここの線引きが難しいのだが、その作品に出ている伊勢谷友介は「誰かの役」であって、「伊勢谷友介」ではないのだ。
逆で考えてみると線引きは簡単である。
殺人犯の役をやっている人は現実では殺人犯なのか。それは違う話である。
なぜならそれは「役」だから。演じているから。
ならば、現実で大麻を所持して逮捕された人が、作中では大麻を所持しているのか。それも違う。なぜなら「誰か」を演じているから。
つまり、「作品」と「個人」は別なワケである。
まぁ感情論で言うならば、「せっかく良い作品なのに、1人のせいで全部ボツになんの勿体なくない?!作品は作品なんだしイイじゃん!」てとこか。
また、僕は最近の社会の「リアル」を求める風潮にもモノを言いたい。
去年に『クレイジージャーニー』がヤラセ問題で番組が終了したりで、今は「ヤラセ問題」に厳しい。
これに関しては、変にリアリティを追求してヤラセが発覚してしまう番組も番組なのだが、
問題なのは、リアルだと信じ込み勝手に裏切られている視聴者だと思っている。
元々番組はバラエティであり、コメディだ。
ちょっとやそっとの嘘はメイクのようなもので、加工だ。
多分番組を作っている人も、みんなに少しでも楽しんで貰えるように、と着色しているはずだ。
そこの意図を汲み取れず、「なんだよヤラセかよつまんねー!」とされるのもどうかと思う。
さっきまで笑ってたものが、嘘とわかった瞬間に面白くなくなる。それは受け手が「リアル」を求めすぎているからだ。
「ウソかホントかは置いといて、面白いよね」が本来のバラエティの楽しみ方である。
嘘が嫌いな人は、すっぴんの女の子だけを愛して欲しい。
この「リアルとフィクション」についての話は、さっきの「作品と個人は別もの」にも共通してくると思う。
作品と個人は別物で、作中の「役」に「現実世界でそれを演じている人」を被せるからタブーになったりするのだ。
同じように「フィクションも多少入ったバラエティ」に「リアリティ」を投影してしまうからおかしくなる。
番組も作品も一緒。いかにエンターテインメントとして観れるか。
そして、東映の行動が、この社会の風潮を変えてくれる1歩になるかどうか。
それはみんなにかかっているのだ。
※ちなみに、前提として犯罪はダメです。人を殺すのはもちろん、大麻は日本では法律違反なのでいけません。そこを擁護するつもりはないです
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