『 社会にこびりついたガム 』は想像以上に厄介だ
路上にこびりついたガム。
それは、元からあった訳ではなく、誰かが吐いたり落としたガムが路上にこびりつき、気がつけば当たり前に路上に居座っている。
それを取ろうとする物は少なく、多くの人は「ガム」であることすら気が付かないだろう。
そんなガムは、社会にもこびりついている。
よく考えれば疑問が浮かぶにも関わらず、誰もそれをおかしいとは思わない。
と、前フリを入れてみたが、どうだろう。
実際、そのような風潮はあると思ってる。
というのも、「あれこれおかしくね?」と疑問に思ったことがあったから今回文にしてみた。
事件が起きたのは先日金曜日の朝。
俺は最近朝ランニングすることにハマっていて、この日もいつも通りランニングに出かけた。
ランニングといってもみっちり走り込む部活スタイルではなく、頭と体を起こす作業のようなもので、ゆるーくジョギングを10-20分する程度だ。
ランニングをし、丁度いい汗をかき家に帰る。
夏なので水分補給は大切だ。朝の水分補給は一日を豊かにする。ソースは俺。
リビングで水分補給をして一休みしていると、朝ごはんを食べてたおばあちゃんから一言。
「はいはい休んでないで手洗いなさい!」
ん?
いや、言いたいことは分かるんだけど。
冷静に考えてランニングの時手使ってなくない?「汗かいたんだから風呂入りなさい!」は凄い分かるのよ。
でも手洗う必要あるかな。。。
いや、洗うよもちろん。今はコロナもあるし、日常から手洗いは習慣づけないとね。
でも、ごめん。全然分からんかった。
別に怒ったりなんてしない!「なんでやねん」とはツッコミしたけど。
これがトリガーとなり、俺は考えるようになった。
「みんなが当たり前に思ってることでも、よくよく考えれば全然意味わからんこと沢山あるんじゃないか?」と。
もちろん、色々なものには根拠があるだろう。
「外から帰ったら手を洗う」行為にも根拠はある。俺もそれを理解している。
しかしながら、根拠も分からず、ただ「当たり前」として君臨しているものは多いのではないだろうか。
特に俺が感じているのは「就職」だ。
この概念とやらが当たり前になっているが、俺には全然分からない。
「なぜ就職をしなければいけないのか」
これについてしっかりとした意見や考えを述べれる人はどれくらいいるのだろうか。
まあ大体は、生きるためとか、大人だからとか、そんなことだろう。
無論、就職することを否定する訳では無い。
お金を稼ぎたいなら働くべきだし、その必要性は俺も重々承知している。
俺が言いたいのはそこではない。
「なぜ就職をしなければならないのか」
ここの考えや理由がハッキリしていないのに、ただ流れに身を任せてる人が多い現状に疑問を抱いている。
もっと「当たり前」になっているのが「学歴社会」では無いだろうか。
大学を卒業して良い企業に入る
このルートが出来ている現状のせいで、「就職」のために大学へ通う人が増えていると考える。
大学は本来学ぶためにあるものなのに、
良い企業に入れるから、給料が良いから
の理由でわざわざ4年間を過ごすのは、理にかなっているとは思えない。
大学に通えない人のことを考えれば、尚更学歴社会には疑問を抱く。
このように、当たり前になっているもの、社会にこびりついたガムはまだまだ存在するだろう。
問題は、ガムをガムとして認識しているかどうかだ。
多くの人が「当たり前」としているこの社会では、ガムを見て見ぬふりをしたり、ガムの存在を気づかなかったりする。
本来、路上はキレイなものなのだ。それに気づかないといけない。
問題は、思っている以上に厄介なのかもしれない。
「当たり前と思っているけど実はおかしいもの」
俺は全然思いつかなかったが、もし何かあればコメントなどしてほしい。意見や考えなども送ってほしい。人の意見を聞くのは好きだ。
ただ、アンチコメのようなものは受け付けていない。
「お前が社会にこびりついたガムだろ!」なんてのは大いに傷つくから止めて欲しい。
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