映画「過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい 写真家・森山大道」監督日記㉖ ~長者ケ崎に行ってみませんか?
一卵性双生児…大道さんと中平さん
中平卓馬。大道さんの”魂の聖域”。
大道さんと中平さんは
「一卵性双生児」とからかわれるほど
いつも一緒でした。
しかし中平さんはある時病に倒れ、
それまでの記憶と言葉をすべて失ってしまいました。
記憶を失ってからの中平さんは
大道さんのいる場所に出没しては
アポロキャップを前後逆にかぶり、
首からカメラをぶら下げて
ニコニコとしていたそうです。
森山大道さんと過ごした日々の記憶を失っても、
その頃交わした熱き会話の言葉を失っても、
中平さんは大道さんから
決して離れようとはしなかったそうです。
大道さんもまた決して中平さんから
離れようとはしなかったそうです。
記憶や言葉を超えて
二人は魂のレベルで「一卵性双生児」だったのです。
2015年9月1日、中平さんは逝去しました。
大道さんは言いました。
「僕の中で、今もビビッドに生き続けている写真家は
中平卓馬、ただ一人なんだよ」
僕は映画を作るうえで
この”魂の聖域”を
避けて通るわけにはいきませんでした。
中平卓馬さんは大道さんにとって
「かつて青春を共に過ごした亡友」ではなく、
「今も生きている”かたわれ”」であり、
現在の森山大道さんの
「人生と写真の伴走者」だったからです。
僕がこの思いを大道さんに話すと
大道さんは「いいよ」というかわりに
その日の午後から
中平さんの名前を会話に出すようになりました。
そして映画の撮影中、
「中平はさ」「中平が言うにはさ」
「中平はこういう時さ」「ここに中平とさ」と
実に100回以上その名を口にすることになったのです。
そうやって大道さんは、僕が聖域に立ち入ることを
そっと許してくれたのです。
「長者ケ崎に行ってみませんか?」
僕は覚悟を決めました。
そして大道さんにこう提案したのです。
「大道さん、
思い切って長者ケ崎に
行ってみませんか?」
長者ケ崎とは二人が青春を過ごした
葉山にある海岸です。
そこは、25歳の森山大道と中平卓馬が
出逢い、語り合い、親しくなり
「今に俺たちも」と夢を見た
大道・中平ストーリーの出発地点でした。
”それはさすがにガサツな申し出じゃないか?”
そう言われるかもしれないと
僕は内心ビクビクしていました。
しかし、大道さんは煙草の煙を
ゆっくり吐き出しながら
ポツリとこう言うのです。
「うん。行ってみようか。」
なぜその場所を訪れたいか
その理由を僕が説明しようとすると
大道さんは笑ってそれを制し、
「いいよ、大丈夫だよ。行ってみようよ。
言いたいことわかるから」
思いがけない大道さんの一言
だ、大道さん。
中平卓馬さんって、写真に詳しい人以外は
あまりよく知らないと思うんです。
でもですね、
前にもお話ししたように
この映画には一切、言葉による説明や
解説を入れたくないんです。
だから中平卓馬さんとは何者なのか、
大道さんとどういう関係なのか、
二人が写真の歴史をどう塗り替えたのか、
通常のドキュメンタリーなら
絶対に入れる説明・解説を一切排除して、
観る人に自由に感じてもらおうと思っているんです。
「で、で、ですからですね、
葉山の海のシーンでナレーションで
『説明しよう、中平卓馬とは…』って
やりたくないんですよ」
しどろもどろ冷や汗をタラタラ流して
長者ケ崎の撮影イメージを語ろうとする僕を見て
大道さんははっきり言いました。
「いいね。」
え?
「岩間さんが撮る葉山の海の向こう側にさ、
中平を”感じさせる”ことができたら、
映画の勝ちだよね」
そう言って大道さんはニヤリと笑い、
僕に背を向けて立ち上がりました。
葉山の海の向こう側に
中平卓馬さんを”感じさせる”?
それが出来たら映画の勝ち?
そうです。
これが大道さん流
天下一品のプレッシャーのかけ方なのです。
僕は、大道さんの”魂の聖域”に
足を踏み入れたばかりに、
とてつもない大きな宿題を
背負うことになったのです。
中平卓馬さんとの青春の舞台を
大道さんと一緒に訪ねる、とは
それだけのことを意味していたのです。
僕は、手渡された十字架の重さと
己の能力を天秤にかけて、
うわぁこれはとんでもないことになった…と
深いため息をつきました。
こうして、僕と大道さんは
逗子へと車を走らせ
一路
葉山の長者ケ崎に向かったのでした。
果たして僕は、
海の向こう側に
中平卓馬さんを”感じさせる”ことなんか
本当に出来るのでしょうか。
待てよ、
感じさせる?
誰に?
映画の観客に、はもちろんだ。
でも、その前に
…当の森山大道さんにだ。
えらいことになった。
(写真:本編より)