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志の輔独演会と新作落語についての考察。

三鷹で立川志の輔の独演会。

多分、これで前から興味を持っていて「生で聞きたい」って思っていた落語家はコンプリート出来たと思います。

この会は、「往復はがきで申し込む」という昭和な方法が取られており、700席の会場に5000人の人が申し込んだそうで、7倍ほどの倍率の中、勝ち取った超絶プレミアチケッツ。

前に神田伯山のチケットを申し込んだ時も往復はがきだったけど、あの時も今回も1番後ろのはじの席。そんなことある?ラッキー過ぎるw

落語は、いわゆる「古典落語」という昔から語り継がれているものと、「新作落語」という、自分で作ったものや、この10年20年くらいで誰かが作り上げたあらたな物語に大別されるわけですが、立川志の輔は古典も新作も両方やる落語家としては最強カテゴリーにいる人。

「みどりの窓口」は有名だし「歓喜の歌」は映画にまでなった。

ただ、今日、志の輔の新作の落語を初めて生で聞いて思ったけど、他の人がやるには難易度高いよね。

つまらないのではなく難しい。

あれ「志の輔だから面白く出来ている」っていうところがある。

実際、志の輔の落語を他の落語家がやってるってのは聞かない。落語は誰が作った話でも、教えてもらえたら誰でもやっていいルールであり、三遊亭白鳥の落語なんかは、かなり多くの人が移植してやっている。

私は基本的に新作落語を好かんのですが、それは、多くの人に面白いと思わせるだけの物語の強度が圧倒的に足りないからです。

古典落語というのは、昔話と一緒で、長い長い歴史と年月にさらされて、それでも形を変えて生き残り人々に愛されてきたという鉄壁の物語の強度があるわけで、作って数年の新作落語がそれに勝てるわけがない。

桃太郎とか浦島太郎以降に、歴史に残るような昔話になり得る物語作れた人いる?

落語に詳しくない人のために別の例で言いますと、M-1は20回くらいやっているようですが、あそこで披露される漫才は全て新作ですね。

20年×10組+20年×決勝3組=260個の新作漫才の中で、他の人がやっても面白い、今聞いても面白い漫才というのがどれくらいあるか?

もちろん、好き好きもあるでしょうし、私も全部を聞いてるわけではないですが、サンドウィッチマンのピザのネタと、ブラマヨのボウリングの球のネタ、ミルクボーイのあの定型を使ったネタくらいな気がするんですね。

もちろん、他の人のネタでも素晴らしく面白いものもありますが、アンタッチャブルや錦鯉のネタは、「あのキャラクターのボケの人」が存在しないと成立しないところがあるし。

いま、お笑いを目指す人は、大抵はM-1かキングオブコントを目指すわけで、この時代でお笑いを目指す多くの才能があそこを目指して新作の芸を作っていっても、歴史に残り続けるようなレベルのものはほとんど出ないということです。

かといって、私が新作落語の創作を否定しているわけでは全くありません。

今や古典になった三遊亭圓朝のネタは、当時全て新作であったわけだし、私は柳家喬太郎の「ハワイの雪」という新作落語が最高に好きです。

そういう素晴らしいネタは、誰かが作らない限り生まれいづることはないわけで、作るのは大事。ただ、聞くのは結構苦痛w

2席終わって、幕が降りたあとのカーテンコールで志の輔さんが、

「普段は大体1席話すと『今日はこういうお客さんだ』ってことがわかって、次にやる演目も決まるんですけど、今日は本当にずっと決まりませんでした。

ただ、私は常に、今日だったら700人ですが、700人のお客さんと1つになれる落語をやりたいと思っています」

ってことを言っていてしみましたね。

ここ数日、twitterで「パンクブーブーが学祭に来たけど漫才をやらず超絶手抜きな漫談をダラダラ喋っただけだった」ってことがバズり、手を抜く芸人・手を抜かない芸人論争が巻き起こっていましたが、落語や講談はね、手を抜く人は極めて少ないですね。

正月の顔見世興行の寄席は、「誰だよ、お前」って人が大量に出てくる上にほぼ手を抜く人しかいませんが、私が好きで何度も聞きに言ってる落語家・講談師の方々で、今日は手を抜いてるな・・・って感じたことは1回もない。

落語会、独演会等のほぼ全部の会では、前座さんが出てきて1席やった前後はパラパラ・・・っと適当に拍手する人がほとんどの中、その会のメインの人がやった最後には、盛大に手が鳴りまくる公演がほとんど。

人は本当に感動したら、盛大にメチャクチャ拍手をするから、そりゃ見たらわかります。拍手の長さと大きさに、ウソはないのだ。

というわけで、素晴らしかったです。もうちょい近くで聞きたかったけどw

志の輔さんも、もう70才。

長生きしてください。

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