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🎹🍏ピアノをまた好きになるまでの話

私は2歳?くらいでエレクトーンを始めた。
というより、ただ触っていた。
まあ、ここまで幼いので当然自分の意思ではないのは明らかだろう。
小学校になるタイミングでピアノに切り替えやり始めた。

通わせてもらったこと、この経験はまず親には感謝している。一方で単刀直入に言う。ピアノの練習は嫌いだった。別に得意ではなかった。ピアノ自体は好きだったとは思う。だんだん歳を重ねていくと、一緒にやっていた子とより比べてしまい、劣等感ばかり感じていた。(それ以外の場面でも劣等感を覚えることばかり、人生常に人と比べてしまっていたので、ピアノにすぎた話ではないのだが)

それでも小6?中1で、ソナタまでは辿り着いた。
ソナタは複数楽章から構成される、まあ、ある程度の難易度の曲ということだ。
楽章の中に有名なモーツァルトのトルコ行進曲があったり、悲愴の一番有名なものは第二楽章である。
私はモーツァルトがとても好きで、先述のトルコ行進曲は習った。(毎年発表会に向けて練習して、その後は選曲して、というややスローペースかもしれないが、当時はやっていたと思う。)
その後はベートーヴェンの悲愴へ。謎に第3楽章を弾いて(ブラックペアンでも使われていました!ありがたや)
その後、第一楽章へ。その予定だった。

高校1年になり、ピアノを突然フェードアウトしてしまったのである。今でも辞めたこと、というより、きちんと辞めます、など言い切れず、通えなくなってしまった(ような、若干曖昧な記憶)ことを後悔している。ピアノの先生には申し訳ないことをしてしまったと思う。
先生は、感性が豊かと誉めてくださったし才能があるとも言ってくださった。だからこそ、練習をと。たぶんだけど、お世辞ではなかったと思う。自分の中で前に進むために渡すことは機会がなく難しいが、自分と向き合ってる手紙を書いて、改めてリセットはしたんだけどね。

色々なピアノの劣等感をより深いものにしたのが中学生。これも自分で蒔いた種だが、たまたま生徒会役員に通ってしまい、まさかやると思ってなかった伴奏者となってしまい、全校の前で校歌や合唱の伴奏をやったのだ。まあ、もっと上手い人は山ほどいて、そんなの一番わかってた。結構負担が多く言葉が悪いが役員の割にちょっとコスパが悪い(ピアノの伴奏に受験とか関係ないからね)。
色々あった学生生活だが、ピアノを全校生徒の前で、練習ではあったが思いっきり間違えた時は流石にその後泣いた。

なんとかリタイアせずやりきったけど。もう、これ以上はいいかも、って思ってしまって、高校で部活と両立出来ず(ちょっと遠くの高校だったのでより難しかった)
(また今度綴るかもしれない吹奏楽も、内容は違うけど向き合いすぎてやっぱり嫌いになっているんだよね、ピアノよりは先に好きになりつつにはなったけど)

何事も粘り強くやり抜くことをモットーにやってきた人生だったので挫折だったし、聴くだけでも苦しい時もあった。ピアノはさておき、中学校時代の諸々の経験が出来てよかったと思えたのも結構最近かも。緊張しいで、胃が痛かったからね〜当時。

距離を置き、月日は流れ、ピアノを聴くのはやっぱり好き、にまず辿り着く。
唐突だが私はのだめカンタービレが大好き。またここは綴るかもしれないけど。

そして、ミセスを通して更に好きになった🍏
クラシックの概念からちょっと離れつつ、ちょっと近いものも感じつつ。また日常にピアノが少し戻ってきた感覚になった。

ここまで綴った後悔が逆に原動力となった。
一度きりしかない人生、後悔したものから少しずつ向き合ってみるのもいいかも。と。

一人暮らしして、また聴くだけじゃなくて、少し弾いてみようかな、と思い切ってピアノを買ってみた。
今はほぼ家に飾ってあるだけだけど。
約10年のブランクは壊滅的で、まあ全然弾けなくて🤣本当に気が向いた時だけ一節。そしていつかは悲愴にまた向き合えたらいいなと。元々やってみたかった2楽章かな。

長くなったが、こういった経験が私にはあるので、ミセスのりょうちゃんのことばかり、綴っているのは、長野県民🍎だから、単純に好きだから、そういう思いだけではなく、キーボードとして、ピアニストとして何より尊敬しているからである。

そして、たまには弾くか〜と思い今日触ってみた。多少の耳コピ技術により、ミセスの新曲ダーリンの出だしだけ弾くことが出来た。
メロディー片手だけならピアノで割とすぐ弾くことも出来た。耳コピから、曲を起こす作業している人たち興味あるんだよな、、
やっぱり音楽ならいくらでも書けるんだよなと改めて今思っている。

私の人生、音楽をゼロにするのは、違うと思うのでどんな形でも、これからも生活に取り入れていけたらと思う。今はミセスを中心として。👋


#りょうちゃん
#中学生
#伴奏

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