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iPad Pro 保護フィルム選択の理由

父のレントゲン室に山積みになっていたレントゲンフィルムの保護紙は、黄色い色で厚みはノートブックよりもほんの少し厚めか。漫画雑誌の紙のようなざらざら感があって、鉛筆に心地よい抵抗感があった。

Gペンとインクを試してみたが、すごく吸収力があって滲んで絵を描くことはできなかった。

しかし、お小遣いは渡さず欲しいものがあったら頼むようにとの母の方針で育てられた僕に、夢のような無限のドローイングスペースを与えてくれた。

ちなみに、僕は母にアメリカに出るまで何一つ買ってもらった記憶がない。唯一買って欲しかった自転車は危ないからダメと一蹴された。

僕が勝手にレントゲン室から紙を持ち出しているのを父母が知らないはずはなかった。ゴミの捨て方も知らなかった僕の部屋には落書きをした無数の用紙が散らばっていたのだ。

変な両親だった。

iPad Pro を購入する一番の動機になったのが、ペーパーライクフィルムだった。僕にとって、紙と異なる感触で絵を描くということなど想像もできなかったからだ。

父が亡くなってからというもの、母は大量の絵を描いていた。物の形をとるのが非常に上手ではあったが、絵が斬新でも構図は先生任せで、背景は絵を描いたついで繊細さにかけていたり、せっかくの美しい線も不思議な感覚を与えてくれる色合いも雑な感触を残す。母にそのことをいつも指摘していたら、母は、僕が絵の先生と同じことを言うと笑っていた。

言われても自分が理屈で理解できるとさえ思っていなかった。母も僕のように感覚的な人間だったようだ。

母が練習に使っていた藁半紙のような大きな紙はまだ実家に山積みになっている。また昔のように紙の上を冒険してみたいと言う夢が捨てられず全部残したのた。

小学校の頃から大学を卒業するまで自分が取ったノートを一度も読み返したことがない(字が汚くて読む気がしない)僕にとって、絵を大量に描く意味はいずれは描きたい何かに届きたいと言う夢だけだった。

きっと家内がこのような思いを理解してくれることはないだろう。大量の紙にただただ描き捨てると言うのは今の僕が望むことではないようだ。

フィルムは金曜日に配達される。iPad Pro のように高価で複雑なマシンが子供の落書きの続きの場になることを望んでいる僕も我ながら理解できない。

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