僕の内向性とお片付けの余生
内向性の形成
僕が4つの時に父は内科小児科医院を開業し、母は父の手伝いに全力を尽くすようになった。父の診療は人気があり、毎日夜の10時ぐらいまで時間外の診察が続き、その後も明け方まで緊急の患者が訪れた。週末も休日もなくそれは続き、父が診察を断ったのをみた覚えがない。
当然のように、食事はたった一人で食べるのが当たり前だった。
一家3人、狭い医院で暮らして、寝るときは8畳一間の唯一の生活空間に住み、残りのスペースは、薬局、待合室、診察室。10歳に父が家を建てるまではまだ、父母の存在を感じることができた。
一旦引っ越しが済んだら、もう診察中に診察室に入ることは許されず、テレビを見るか、3階の自分の部屋に閉じ籠ることになった。父はそんな僕のことを心配したのか、数多くの本を買い与えてくれた。
毎日のように家に帰ると本のページを開け、その瞬間に本の世界に入り込む。何度も何度も読み返しても、毎回のように新しい発見がある。僕の毎日は片道40分市電に揺られて学校に通うほかは、本に生きる時間だけで構成されていた。
誰も片付けなど教えても躾けてもくれなかった。まるで片付けなどできなくても仕方がないかのように。
以来、大学を卒業して日本に帰国し、就職するまで僕のメンタリティーは変わらなかった。
何も買いたいものはないのに
家内は物を整理するのが大好きで、狭い家の限られた収納は全てパンパンに家内の物で満杯になり、僕の本や書類を収納する場所もなくなり、ほとんど物を買わなかった僕のものだけが積み上げられることになった。
こういう生き方をいつまでもすることもできないので、10年ほどもかけて作るのが可能なスペース全てに収納を作ってもらい、さらに家内が買ってもしまいこまれて使うこともなかったものを相談して捨てることにした。家中の収納に半分ほどのスペースができた時には感動したが、家内が腕によりをかけてすぐにそのスペースを埋めてしまった。
買い物をする時には、常に買いだめして将来に備えるのがアメリカの習慣で、これまでそれができずに我慢をしていたらしい。結局、僕は書類は時期が過ぎたらシュレッダーにかけ、本も本当に残したいもの以外は手放すことにした。皮肉にも、一階にあった大きな本棚は、ほとんど本さえ読まない家内の本と国際学校の資料で埋まっている。
人生の転換期
この年齢になって初めて片付けができる時間が出来始めたが、片付けようにもほとんど全てが家内の物なので、片付けることができない。その上母が他界してからというもの、うち以上にもらいものに溢れていた実家を片付ける羽目になった。母は物を捨てない時代の人間だった。
僕も物は捨てないように育てられたので、とにかく使えるものは壊れるまで使ってから処分することにした。まあ、僕たちがこの世を去るまでサッパリすることはないとは思うが、精神だけはミニマリストになる覚悟だ。
介護中に僕が外に出られず心臓が弱ってしまったので、なかなか大きな仕事はできないが、忙しい家内の力を借りながら母の遺品を処分していくことを決意した。遺品の中で多いものは、母が描いた絵で、絵の好きな家内がオーケーを出さないと捨てることもできないのだ。
実家は、そのような生活をしていた母が設計して大量の収納があるし、母の介護が始まってからというもの、父の書斎の壁裏にも収納を足してもらった。このスペースを利用して自宅の整理を進める予定だ。
僕の余生は片付けになる。
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