忙しさと人生
会社経営と翻訳を24時間体制で行う人生を忙しいと感じたことはなかった。
翻訳会社は、僕の手が空き次第、次の仕事を渡してくる。週末も休日もない。睡眠不足と闘いながら、ギリギリまで作業を続ける。
自分が経営する会社が十分な利益を上げていなかったから、選択の余地が無かったとも言えるが、それが僕の人生だった。仕事以外のことをする余裕もほとんどなく、家内に随分と迷惑をかけたと思う。
今は、自分がやりたいことならなんでもできる余裕ができたが、やっていることが面白すぎて時間の余裕がなくなった。選択肢があるからこそ、忙しさを感じる余裕もあるようだ。
以前は、自分の望む人生に向かって足を進める余裕さえなかった。
しかし、今も24時間体制で自分の目標を追いかけている。(十分な睡眠を取って、頭が疲れたらラノベを読んだりするという以前には考えられなかった贅沢はしているのだが。)
今年で70になる僕には、本当にそんな余裕があるのだろうか。やりたいことの山を目の前に、生まれたての赤ん坊のように少しずつ少しずつ前進している。ゴールはあっても、最終的に到達することなど考えられない。
おそらく人生の最後までこれが続くのだろう。
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