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歴史の教科書と実際の歴史の違い

 YouTubeの文藝春秋PLUS公式チャンネルで辻田真佐憲さんの「世界史の中で日本を考える」というタイトルのお話を聞き、感銘を受けました(同じ考えの人を見つけて嬉しく思いました)。

 現在の中学校の歴史教科書でどのような扱いになっているかわかりませんが、80年代に私が習ったときでは山県有朋は軍国主義者で悪者、原敬は初めての平民出身(実は士族出身)の総理大臣なので良い者、犬養毅は5.15事件で軍人に殺されたので良い者というような扱いだったと記憶しています。

 実際にはそんなに単純な話ではなく、犬養毅はロンドン海軍軍縮条約に関して野党の立場として「統帥権」を持ち出して与党を非難したため、統帥権を持ち出せば政府を追い詰めることができることを軍人たちに教えることになり、戦前の政党政治が機能不全に陥る原因の一つを作りました。原敬が総理大臣のとき、原は内閣のメンバーによる汚職事件をもみ消しています。山県有朋は、陸軍のドンだったけれども、ロシア革命直後の混乱に乗じたシベリア出兵には反対しています。例に挙げた三人は、教科書で印象付けられたように単純に良い者または悪者に分類できるものではありません。

 辻田真佐憲さんは、原敬については話をされていませんでしたが、犬養毅による統帥権の政治利用、及び山県有朋の民衆を信じていないからこその合理主義について話をされていました。

 結果論ですが、日本はシベリア出兵の目的を達成できず、山県の読みが正しかったことになりました。

 原の汚職揉み消しも犬養による統帥権の利用も党利党略で、それは民衆の力を知っていた/気にしていたからこその行動だったのかもしれません。

 現在の歴史教科書ではこの三人の扱いはどうなっているのでしょうか。10年以上前になりますが、YouTubeでアニメの「るろうに剣心」がサジェストされてそれを見たときに、私が教科書で習ったときよりも山県有朋の印象が良くなっていると感じました。教科書も少しは変わってきていたのでしょうか。難しいことだと思いますが、人間はそれぞれ良いことも悪いこともし、政治家が良いと信じて行ったことが時代の流れの中で意図せぬ結果になる場合もあることを歴史教育の中で教えていくべきなのではないでしょうか。

 写真は、有朋つながりで椿山荘の写真です。