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権利は、誰かに許可してもらうものではない
【図書紹介】山田綾「『性の多様性』と生活指導―『討議づくり』の可能性」全国生活指導研究協議会編『生活指導』№765、2022年12月/1月号、60-67頁。
学校には、異性愛規範と性別二元論を前提とした校則・規則や慣習、語りがあふれており、性的マイノリティの子どもの声から問い直しを進める必要がある。さらに、学校・教室が均質化・同一化を求める場になるほど、性的マイノリティの表現や行為は規律を乱すやっかいなもの、逸脱、学校や教師に対する反抗に見えてしまい、取り締まりの対象になりかねない。あるいは、「いじめ」「迫害」の対象にして沈黙を強いる力が働く。性的マイノリティの子どもたちから問われているのは、個別具体的な文脈を生きる子どもの「呼びかけ」に呼応し、性別と性的指向に関する差異と複数性を前提に、従来の学校のルールや指導のあり方、教育の内容・方法等を問い直すことである。それには、子どもたち自身が語り直し、ルールを決め直していくことが必要になる。
他者と異なる選択が安心して語られるには、これまで他者と異なる選択が排除されないことを体験しているかどうかが重要となる。具体的な経験が出されてくると「男/女らしさ」のフィクション性は読みひらかれていく。さらに、授業も、抑圧的な他者から求められることを自分の経験を棚上げし発言する場から、自分の経験や思いを語り、呼びかけに応答し、見方や考え方を交流する場に変化していく。
「生徒指導提要」の配慮と支援の内容を読むと、「『性的マイノリティ』とされる児童生徒への配慮と、他の児童生徒への配慮との均衡を取りながら支援することが重要」との記載からは、周りが納得できる範囲で認めるとも読み取れ、誰から許可してもらうのではない当然の権利として選択・決定を行使できることが見えなくなっている。子どもたちが既存のルールに従う際に配慮されるのではなく、子どもたちがルールづくりに参加し、体験しながら、他者と異なるものを選択してもいじめられない関係性が探求され、安心して選択の自由を行使できる関係をつくっていく必要がある。
こうした点は、生活指導実践では、「討議づくり」として取り組まれてきた。そのさい、ルールには、「個々の具体的なルール」(被構成的ルール)と「それを根拠づけている」ルール(構成的ルール)があり、前者は「ルールをつくるルール」からみて正当かと問われる必要があり、被構成的ルールの見直しを討議する過程では構成的ルールの内実が問われる必要がある。差異と複数性を集団にひらいていくには、被構成的ルールを根拠づける「構成的ルール」の討議に焦点をあてる必要があるというのだ。
たとえば、男女で分けない方向の体育祭を協議するなかで、「男女には差があり協議のより男女を分けた方がいい」といった意見には、その意見の前提となっている「楽しめるか楽しめないか」を考える前に、「学校では誰も傷つかない」を考える必要があるという構成的ルールを確認するのである。男女別の協議を残すということは、血液型の例でとたとえるなら、A・B・O型の人は競技に参加できるが、AB型の人は参加してはいけないと言っているほどのおかしいことなのだというように、どのように考えていくかを共有する必要があるというのである。