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宿題の丸付け、体調管理など、学校って提出物が多すぎませんか?

 宮崎日日新聞で月2回連載「げん先生の悩む前に尋ねてみよう」が始まりました。「小学校2年生の父親です。学校って提出物が多くて大変ですね。宿題の丸付け、音読のコメント、体調管理票などなど。 プリント整理だけでも相当な分量。 妻は毎日仕事から帰ってきて家事をして、その後に学校準備をしています。子どものことだからやるしかないのですが、それでもこの学校の負担はどうにかならないんでしょうか?」という30代男性の質問にお答えする形で、学力を形成するうえで子どもたちの習慣にしていく行為とは何かを考えました。私の息子も1年生です。


 宿題の確認だけでなく、調査、問診票、同意書といった学校への提出物は、想像以上に多かった。お願い、お知らせ、てびきなど、目を通さなくてはならない文書も毎日のように届きます。私の妻も仕事から帰ってくるなり、着替える間もなく家事をしつつ、息子の読み声に付き合い、文書に目を通し、明日の準備を確認しています。

 こうした家庭が受け持つ仕事の多さに、私は閉口する前に驚くことにしました。口を閉ざすと、次は頭に来るからです。驚くという行為には、人を冷静にする機能があり、落ち着くと、提出していない保護者への督促や提出物の集計作業といった学校が受け持つ仕事の煩雑さが見えてきます。 

 宿題の丸付けが負担に感じられるのは、家庭の役割が一方的に決められ、宿題という手段が目的化しているからです。子どもは、わからない自分をごまかさず、自ら学ぶことをあきらめていないかどうか。「ねぇ、教えて」と安心してヘルプが言えているかどうか。こうした学習権の自覚が子どもにあるかどうかこそ、家庭でも点検する必要があります。「わからないので、説明してほしい」「できないので、一緒に取り組んでほしい」「なぜこうなるのかを考えたいので、手掛かりがほしい」そうした学習への要求が出せるかどうかが、学力を形成していくうえでもっとも重要な行為だからです。

 ところで、我が家では、息子の洗濯物はたたむが、自分たちの服は取り込んだままになりました。冬物は、まだしまいかけのままであり、オイルヒーターは出しっぱなしになっています。テレビは、録画したまま見ていない番組がどんどん増えていきます。「まあ、いっか」と放り出したままを許せる家事を見つけないと、学校の負担には対応できません。教育は手間がかかり、子どもに時間を贈る行為なのです。

 息子と家庭学習について話し合うと、宿題を一緒にするのはパパでもよいが、宿題のチェックはお母ちゃんがよいと、つれない回答だった。明日の準備は、自分ですると言います。息子は、自分ができるところを見つけては、いろいろな家事も分担していきます。
 
 今回の相談は、30代の父親からでした。「パパは自分から何もしないでただ見ているだけだ」と、子どもにダメだしされていませんか。

 本稿は、2023年5月29日に宮崎日日新聞に掲載された「げん先生の悩む前に尋ねてみよう」の原稿に加筆修正したものです。学校と家庭は、対立関係になるのではなく、学校の「おかしさ」をともに改善していく共闘関係になる必要があります。さらに、家庭での家事分担のジェンダーギャップを指摘するものになりました。
 次回の「げん先生の悩む前に尋ねてみよう」は、「ときどき、お母さんからゲーム禁止と言われて怒られます。どうしてゲームをしたらいけないの?」という10代の子どもからの質問に応えたものになります。


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