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学校を子どもたちのものにしていくプロセスを大切に

 三股町のミーティングで、学校を子どものものにするとはどういうことだろうと考える機会があった。三股町では、フリースクールを実際に運営しながら、今後の展開を考えることになっている。昨日は、スタッフミーティングだった。

 一つには、フリースクールの開校準備である。公民館をほぼ平日毎日お借りすることになるのだが、どこまで改修していいかを交渉することが必要である。ソファーはすでに新しく持ち込まれていた。ホワイトボードやコピーを持ち込み、置きっぱなしにできるのか。クーラーといった改修工事が入る備品は可能なのか。靴箱などもつくり直してよいのか。植栽はしてもよいのかなどなど。あるいは、天井の明かりは、蛍光灯からLEDに変えてもよいのか。壁は、色を塗り直していいのか。

 子どもたちが過ごす場所を子どもたちでつくり直すことができるとき、子どもたちの居場所になりやすい。学校を子どもたちの居場所にする条件をどこまで広げられるか。子どもたちと一つ一つをどうするかを考える。自分たちのことは自分たちで決めるプロセスは、子どもたちにどのような学びをもたらすのかを考えていきたいのである。学校は、未完成だからこそ、子どもたちが意見を表明できる機会があるのではないだろうか。子どもたちを迎えるにあたって準備しておくことと、子どもたちと一緒に準備していくことをていねいに分けていく作業こそが、開校準備なのである。

 二つには、開校式をするかどうかが話題となった。町長や教育委員会の方々を呼ぶようなセレモニーは、子どもたちも保護者もまだ求めていないのではないか。どんな学校かもわからないようなところに来てもいいと言っている子どもたちが、すでに3名もいる。子どもたちが学校を自分たちのものと思えた時に、開校式をしてもいいのではないか。どんな開校式をしたいかから子どもたちと考えてもいいのではないか。誰にとっての開校式なのか。学校を社会的に承認してもらうのが、子どもたちが学校を承認していくより先なのかを考えたのである。

 子どもたちも学校づくりの当事者であり、学校改革の主人公である。子どもの権利条約にある「意見表明権」は、言葉になった意見をはっきりと口にすることではなく、言葉にならない世界や子どもの見方を聴きとられる権利である。子どもにもかかわる事項は、子どもたちにもどう感じるのかどう考えるのかをていねいに聴いて、一緒に考えてもらう。学校を立ち上げたスタッフや子どもたちが、新しく誰かを迎え入れるときこそ、開校なのであり、自分たちの学校はこんな学校だよと子どもたちが新しく入ってくる子どもたちに説明できるになるまでが、開校準備なのである。 

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