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教師自身がおかしいことにおかしいと発言する姿を見せているか

日々読書‐教育実践に深く測りあえるために

内田良・斉藤ひでみ・島﨑量・福島尚子『#教師のバトンとはなんだったのか 教師の発信と学校の未来』岩波書店、2021年。

 「いつか教師になるあなたたちへ」という宮崎県人権啓発協働推進事業を主催するなかで、弁護士さんの話を聴く機会があった。学校は「わからない」「できない」という声は大切にするが、子どもだけでなく教師からも「おかしい」という声は聴かないという指摘があった。

 教師はなぜ本音を言えなかったのか。物言わぬ教師はいかにつくられたのか。本書の中で、福島尚子さんが次のように指摘している。階層化・複雑化する教職員組織が、評価の肥大化と成果の数値目標化の下で急き立てられ、教師たちが口を閉ざしていく。挙手・投票を奪われた職員会議が象徴するように、意見表明の機会が失われている点を指摘するのだ。

 さらに、「会議・打ち合わせの見直し」や「校務分掌の整理」を行うことで「子どもと向き合う時間」を確保するという働き方改革を、職員会議の「空洞化・形骸化」の方向性とリンクさせると、授業などの直接的な教育活動に教師の時間と労力を振り向けさせる一方で、「学校経営からの教職員の排除」が意図されているのではないかという指摘を紹介している。

 教師は、たとえ自らの希望と異なっても、あるいは、自分の考えとは異なっても、黙って粛々と役割を果たせばよく、学校という意思決定の主体としてはみなされていない。しかし、それに不満を持っても、職員会議の場でももの申すことが無意味であれば、ただただもの言わぬ教師が生まれるだけだというのである。

 教師の過重負担、自己研鑽の機会の不足、採用数不足や長時間労働など、教師の労働条件をめぐる問題も、子どもたち自身が育つ環境や教育条件の問題として、子どもたちにも意見を聴いてみる。そのためにも、教師自身がおかしいことにおかしいと発言する姿を子どもたちにも見せていく。教師自身が「声」をあげげていくことの意義をあらためて考える一冊となりました。

 

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