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自己紹介・私の人生を変えた職業【第2回】

お疲れ様です。
6月に転職をいたしました、せいです。

ここで私の経歴について、お話をしておきたいと思います。

なぜ今転職をしたのか、なにを目指しているのか、そのもとになっている経験やマインドは何なのか。
私の人となりを知っていただく方がなんとなくの親しみだったりが湧いてきたり、共感していただけるところもあるのではないかと思い、これまでを思い出しながら上げた次第です。

私の場合、大学生時代からのお話をすることになるのですが、その前に

イケイケだった幼少~青年期


それまでは自分でいうのもなんですが、結構イケている側かなと客観的に見て思います。
小さいころから勉強で苦労したことはほぼなくて、字もきれい、絵も上手い、歌も上手い、野球部でエース、全教科偏差値60後半で成績優秀、高身長、親分肌で周囲からいろんな役を頼まれるような存在でした(あと男前であれば言うことありませんでしたが笑)。何をしても大小とわずそのコミュニティのなかで常に上位にいました。それが気持ちよかった感覚は今でも覚えています。
そういうことも当時から自分自身が自覚していることもあってそこそこ自信家でもあったかと思います。

暗黒期


しかし、大学受験失敗をきっかけに親とも関係がこじれ、なかなか前を向くことができない時期が続いてしまい、後向きなマインドが定着してしまいました。結果として、これが30歳手前まで社会人としての大事な成長時期にまで影を落としてしまいます。

というのも、イケイケだった時期では経験できなかった挫折を味わうことになりました。高校では主に野球に時間を費やして、甲子園というよりはその先のプロ野球の方を意識して野球をしていました。
そのせいで、勉強がおろそかになり、結果学年での成績も最下層になってしまっていました。とはいえ、授業が面白い先生の科目だけは100点をとったり、留年しないようにだけ注意して高校生活を送っていました。
そのせいで高校3年で志望校を意識した時にいわゆる関関同立を目指したわけですが、偏差値的には20以上上げないといけないような状況にまでなってしまっていました。
夏の大会も終わりクラブ活動は引退したのですが、周囲のお願いされて浮かれてしまったこともあって体育祭や文化祭のリーダーを担ってしまいます。
そこにも時間を取られ、なかなか勉強する時間を取ることができなかったわけです(この期に及んでまだ勉強しないといけないという意識に乏しかったのも事実)。
そして体育祭文化祭も終わり、やっと勉強し始めたのも束の間、約2カ月弱で公簿推薦の試験がありました。
その2カ月弱の間の集中力たるや凄まじいものがありました。
当時ターゲットという英語の単語帳を試験日までにほぼ丸暗記。
そして、頻出イディオム英熟語問題集を丸暗記。
そして、国語は現代文と古文の解き方のテクニックと最低限の知識だけ頭に入れて受験に臨みました。

結果、合格。
その勢いのまま、関関同立の受験にあたりました。

関関同立の受験に関しては、敗戦しました。
ここで初めて挫折、敗れることを経験しました。

それまで、負けたことのない人間が一度負けると脆いものです。
立ち直るためにまず負けた自分を認めるために時間を要します。
私の場合、質が悪く、負けたことをなしにしようとしていたのです。
というのも、浪人や大学入学後の2年次編入、3年次編入を考えていました。

そういったことを考え、親にも話しかけあいましたが、お金がないということで取り合ってもらえませんでした。

そこから人間が腐ったようになり、大学にもいかず、アルバイトだけして毎日自分で使うお金だけを賄う生活をするようになりました。
そういった生活なので、アルバイト以外の記憶がありません。
結果、人より1年も多く大学に通ってしまいました。
最低です。

自分でいうのもなんですが、根は真面目なので在学中からに事態を打開したいともがいていました。良いきっかけを探していました。
ただ、それを見つけたりつかんだりすることができないまま20代中盤までフリーターをしてその後郵便局で仕事をすることになりました。

20代中盤まで、何かもやもやを抱えたままとある郵便局で社員をしたり、とあるメーカーでマーケティングに携わり、イベント企画・販促企画・テレビCMなどにも携わってきましたが、あまりハマることなく時間だけが過ぎていました。

年齢が28歳になって転職をしました。ジェネラリストよりスペシャリストになろうと思い、皆さんにとってあまりなじみのない業界ですが、土地家屋調査士の仕事に従事することになります。

今振り返ると人生の転機。土地家屋調査士事務所での仕事。

土地家屋調査士の仕事では、業務内容として測量や登記を専門として現場作業と事務作業の両方をこなしていくわけですが、最終的には商圏の拡大、営業、業務改善のところに力を注ぐようになっていきました。

というのも、土地家屋調査士の業界は、今もなお各所員のマンパワーに頼り、属人的で組織としての力を発揮できないまま進歩の無い状況です。
それを肌で感じ、もっと効果的効率的、なおかつ安定的に事務所を運営できないかとずっと感じていました。

なぜなら、測量の仕方や登記実務もそうですが、すべてが属人的でとても素人がなじむのにハードルの高い状況であるからです。どちらかといえば、事業主や資格者と若年の新人さんは師弟というような関係になり、上司や先輩は「おれの仕事を見て覚えろ!」と言わんばかりの仕事ぶり。
今の若い世代の人には、ここで耐えてがんばる理由をみつけることができなかったり、なんでこんな仕事の仕方をするのか理解できない状況の中で仕事をすることになっているのが現実です。

今や我々にも当てはまりますが「石の上にも三年」という考え方は通用しません。
コスパやタイパといわれるように、「自分に合わない」と感じたらとっとと転職していってしまいます。折角採用した人材も全く育たないまま離職してしまうわけです。

さらに、とりわけこの仕事自体は外業もあるので忙しい時期になれば朝一番から日が暮れるまで外に出ずっぱりのこともあります。帰社後、そこから図面をある程度仕上げるにかかると、終電近くまで残ったり、残務処理のため早朝から出勤して朝一番に先方に図面と見積もりを送るような働き方が常態化しているところも珍しくありません。
実際、私がそうでした。そして、同僚がそれで身体を壊して、取引先様に大変なご迷惑をおかけしているところも目の当たりにしました。

私はそうした状況に辟易していましたので、それを改善するべく

●所内外の各業務のマニュアル作成
●商圏管理
●事務所の運営戦略戦術立案、実施
●事務所の売り上げのポートフォリオ作成、管理、メンテナンス
等々

に着手いたしました。

それをすることで、事務所の売り上げが5,000万円程度だったものが、最終1億1,000万円オーバー程度にまで増やすことができました。

ただ、これも自分自身の見えている範囲での改善ということですぐに限界を感じました。

そのために、一度土地家屋調査士の業界から離れて、外の世界で修行する必要があると感じました。

そのとき、36歳という年齢になっていました。その後、

36歳、ITベンチャーに移って仕事をすることになります。

ITベンチャーではベンチャーなので何もかもこれから、といった状態でしたから、上で挙げた

●所内外の各業務のマニュアル作成
●商圏管理
●事務所の運営戦略戦術立案、実施
●事務所の売り上げのポートフォリオ作成、管理、メンテナンス
等々

といったノウハウを蓄積してまとめる力だったり、売り上げを作って管理できるであろう存在として期待されていたこともありますし、その経験の中で培った営業に生かせるであろうポテンシャルにも期待されていたように思います。

入社直後、いきなり壁にぶち当たります。

転職する際にわかっていたものの、業界が変わって業界知識の部分や組織としてのカルチャーの差にショックを受けてしまいました。

これをご覧のあなたからすると笑われてしまうかもしれませんが、仕事をするに際してのツールが全然違うので、ZoomやGoogle Workapace、chatwork等の使い方など、とにかくなにをするにも四苦八苦して周囲の情報の流れについていくだけで必死でした。
というかついていけませんでした。

そうしたこともあって、周囲からなんとなく孤立しているような疎外感さえ感じるようになり職場に行くことも億劫になってきてしまっていました。
10個くらい若い女性にも「この人、何言ってるかわからない」とみんなの前で言われたり笑
何をするにも自分が足を引っ張っているようなところを自覚しながらなので、自己肯定感や効力感など全くと言っていいほど感じることができませんでした。

そして入社してからおよそ3カ月。

のちの自身の受注第1号にして最大の取引先に出入りするようになるところと出会うことになります。

そこから年末の4か月間の間、窓口の担当者さまとのちの決裁者さまにアプローチするために面談を慎重に重ねて、関係者にもヒアリングをして年末に決裁関係者全員に向けて練りに練った最終プレゼンを実施しました。

その期は、その1件のバカでかい売り上げのおかげで目標達成にこぎつけて、会社として事業部として個人として数値的には達成している状態でした。この件には自分自身が助けられました。
その取引先の皆様に関しては忘れることができません。

年末のある日、次の期に入る前ということで振り返りをしているときにネックであったリード獲得について課題であることを改めて確認しました。
それについての対策と具体的施策そしてその大まかなスケジュール感を示していきました。
これまで、社内ではそのことについて専門でやってきた人材もいなくて少々難儀なことになるなと予想していましたが、結局そのリード獲得というかマーケティング全般を社内で内製することになりました。
そして、その施策を回す役目を私が担うことになりました。

それが決まる前から、BtoBマーケティングを勉強していましたが、まだ自分の血肉になっている段階ではないとわかっていながら、それを担うのは結構な重責やな、これは今まで経験した努力の量でカバーできるものではないと感じました。

なので、インプット(読書)の量を増やして、即アウトプットする数年間になるなと覚悟して実践しました。

具体的な時間の使い方として、

朝7時すぎに起床
↓(通勤1時間程度は読書)
AM9:30始業
↓(ほぼ毎日昼食抜き)
↓(毎日面談4つ5つ程度)
PM:20:30終業
↓(帰りは読書、1日の振り返り)
PM22時前~PM23時に子どもを寝かしつける
↓(営業セルフ・WEBロープレ)
↓(マーケティング施策立案、更新)
↓(営業数値・マーケティング数値まとめ)
↓(営業面談・配布資料作成、更新)
AM3時~4時就寝

それからというもの、上のような時間の使い方で1日を過ごしてきました。
激烈にしんっどかったです。

その中では、DM、SNS広告、SNS運用、FAXDM、テレマ、営業、インサイドセールス、カスタマーサクセス、カスタマーサクセス、セミナー企画実施、展示会参加運営等あらゆることを経験しました。

調査士事務所でいるとこんなことは経験できなかったと思います。

結果、部分部分エラーはありましたが、最終結果として上手くいきました!
努力が報われました!
やったことないことでも目標を達成することを常に念頭に置いてとにかく工数無視の限界突破でやり遂げました。周囲の皆様にも支えていただいたこともありがたかったです。

ぶっちぎりで営業成績もトップ
案件数、成約単価もトップで突き抜けることができました。
そして、その年も目標対比200%超えを達成して最後を迎えることになります。

ただ、この生活では身体がもちません笑
この生活は辞めないといけないと直感的にわかっていましたが、とにかくある一定期間は突き抜けようと目をつむりました。

そして身体がもたないと同時に、家族との関係ももちません苦笑
というのも、この時の挑戦は特に妻に対してはある程度伝えてはいましたが、おそらく妻の想像をはるかに上回っていたのでしょう、途中妻が子どもを連れて実家に帰ってしまいました苦笑

あまりに仕事に傾倒する私を見かねての判断でした。
食事もろくに口にせず、睡眠もままならず、休日になっても読書とパソコンに時間を使ってばかり。さらには、子どもが私に話しかけても生返事ばかりでまともに相手をしてあげられていない。そんな状況を見るに見かねて、実家に帰ったという事態になってしまったというわけです。

これに関しては私の能力と姿勢の問題で、すみやかに妻と子どもに謝罪しました。
子どもとまともに同じ場面と時間を共有できるのはおおよそ生まれてから10年程度かな、と想像しています。それ以降は、子どもも交友関係も広くなったり習い事などで家を空けることも多くなって一緒に時間を共有することも少なくなるだろうと思っています。
だからこそ、それまでの間は、とにかく一緒にいることを大事にして、特別何かするわけでもないけど、そこで一緒にいる安心感や子ども目線で考えたときの「自分を見てくれている」感というのを醸成しようと思っていましたし、今もそれを大事にしています。
それを夫婦の共通のスタンスとしてとらえていたのに、私の方からそれを違えるような行動をしてしまったので素直に謝りました。

ただ、あともう少しだけ頑張らせてくれと期間限定ということで頑張らせてもらいました。

そんな代償を払ってしまいましたが、ここまで努力すると1年2年たてば、営業やマーケティングについて勘所を押さえられるようになってた感覚もありますし、本を読んでいてもあ新鮮な学びを感じることも少なくなってきました。

その域に達したと感じた時点で、土地家屋調査士の業界に戻ることを決意しました。

そして今土地家屋調査士の業界に戻って半年がたとうとしています。
現在はプレーヤーとして働いています。
新しく入所した事務所では人数も多く売り上げ規模も以前の調査士事務所と比較にならないほど大きくプロフェッショナル集団としてお仕事を日々こなしています。
でも、この会社も例にもれずやはり旧態依然とした働き方や仕事の仕方をしています。
要改善です。

人数が多い分、仕事の仕方を変えていくのは大仕事です。
おそらくこれまでの仕事の仕方を改め、DXによって変えていくべきところを変えていっている過渡期である世の中の他の企業も、それが進まないのは一緒だと思います。
その状況を見る反面、資格を取って自分で会社を立ち上げようかなと画策している節も実はあります。

これからはこれまで培ったものを活用してこの業界で働く人々や同じ年代や境遇の方々の何かしらのサポートをしたいと考えています。

そういったことを思うようになったのも人生をこれから歩んでいくうえで、大事なもの、優先するものがここ数年の過ごし方で見えてきたからだと思っています。

いろいろ大事にしたいものはありますが、

●家族
●仕事
●お金

この3つです。
ありきたりですが、これを自分の言葉で根拠や理由を話せるようになったのもこれまでの経験に基づいています。

これらを実現するためにはなにより
成長マインドセット、が大事と思っています。

これを身につけることができたのも、ここ数年の過ごし方が良かったと自分自身とらえています。
そしてやっと、やっっっっっと暗黒時代の自分と決別できたと思っています。

いつからだって自分を変えることができます。
落ちた私だから伝えられることがあります。

毎日を全力でいきます!

これをご覧のパパさんへ。

毎日お仕事お疲れ様です。
毎日とにかく目の前のやるべきことが充実していることと思います。
それは何よりです。

ただ、その反面、どこか自分の中に空虚なものがあったりしませんか?
実は私はそれがあったりします。
焦燥感も多少あります。
なぜなら公私ともに色々とやりたいことがあって、そのための時間が足りないと感じるからです。
それを探しながら今もがいているところです。
それにちょっとでも近づいて人生が豊かになるようなことができればよいと思っています。
そのために、なるだけ皆さんの声をいただきたいと思っております。
コメント欄の方でいっぱい良い点悪い点をフィードバックとして書き込んでください。

これから働くパパのためのお役立ち情報をあげてまいります。
仕事に打ち込んで、心身ともに家族を守れる男は最高にかっこいいです。
一緒に頑張りましょうよ!
同じ時代を生きるパパ同士、楽しく駆け抜けていきましょう!

よろしくお願いします!

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