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名作か、迷作か!?「戦いのにおい」とは何か?~機動戦士ガンダム 第15話「ククルス・ドアンの島」感想

冒頭ナレーション

ナレーション「宇宙世紀0079、ルナツーと呼ばれる第2の月は、宇宙都市建設に使う鉱物資源を手に入れる為に運ばれてきた小惑星である。その隣に7番目の宇宙都市サイド7が建設され始めて2年目、ジオン公国と地球連邦軍の戦争が始まった。この大戦で4つの宇宙都市の群れが消滅し、わずかサイド6のいくつかの宇宙都市が残るのみである。そして、ジオン公国を名乗る宇宙都市の群れは地球から最も遠い所にあった。そこの総帥ギレン・ザビは叫ぶ。地球連邦の軟弱を討てと。あたかも、人類を救うのは彼のみであるかのように」

冒頭ナレーションで、初めて図面が登場した。地球や月、各サイド、ルナツーの位置関係が非常によくわかる。

こういうのはもっと初めの方に紹介しても良さそうだが、ここまでは絵と構図で説明する手法が繰り返し用いられており、そちらの方に個人的にはプロの技を感じるところである。

連邦軍の緊急信号

フラウ「ブライトさん、連邦の空軍の緊急信号が入ってます」
ブライト「空軍のSOS?場所は?敵の数は?」
フラウ「それが、自動発信の様で交信は不可能です。すぐ割り出します!ポイント305」
ブライト「ポイント305か、割と近いな。アムロに様子を見させる。アムロ、コアファイターをガンダムから離脱しろ、いいな?アムロはコアファイターでポイント305へパトロールを頼む」

今回は、コアファイターとガンダムパーツのドッキングの訓練シーンから物語は始まる。

第13話で、カイとアムロが空中換装をいきなり実戦でテストしてしまい、ブライトがブチ切れるシーンがあった。

カイ「よう、アムロ、空中換装ってやつをやってみるかい?」
アムロ「空中換装?よーし、いきなり実戦テストもいいだろうさ
ジョブ「カイさん、駄目ですよ。マチルダさんの持ってきてくれたドッキングパーツ、まだテストしてないんですから」(第13話)

ブライト「あんな地方の前進基地を叩く必要がどこにあるか。カイもカイだ。テストもしていないのに敵前でガンダムをドッキングさせたりして。単なる消耗戦だぞ。今の我々には自分の首を絞めるに等しい」(第13話)

今回のような訓練を何度も何度も行った上で実戦へとなるのが本来の順序だ。アムロたちはこうした訓練を毎日のように行っているのであろう。

それでもブライトから「遅いな。もう4秒短くならんのか?」と注文が入る。日常生活の感覚では「4秒くらいいいじゃないか」となってしまうが、しかしここは戦場である。この数秒でクルーの生死が分かれるかもしれない。そう考えれば、短縮できる部分は極限まで短縮しておくに越したことはないのだ。

コアファイターの離脱シーン

リュウ「まったく。ガンダムのこんな姿は見たくもないな」

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まったくである。ホワイトベース内でならアームがあるのでスマートな離脱が可能だが、外でコアファイターが離脱する方法は、ガンダムの構造上こうするしかないのか。

あまりにも衝撃的過ぎて、私にはカッコ悪いとか見たくないとかそういう次元を超越したギャグシーンに見えてしまった。

なお、このシーンで、コアファイターを一部スケルトンにして操縦席内のアムロを描いている描写がある。

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機械と同時にそこに乗り込んでいる人物も一緒に描く手法だ。

このほかにも「機動戦士ガンダム」ではモビルスーツのカットにパイロットのカットを挿入する手法も用いられている。

こうした表現が「機動戦士ガンダム」から用いられているのか、それ以前からも存在していたものなのかはリサーチしていないが、モビルスーツの動きと人物同士の会話やドラマをスムーズに描く手法として面白い。

囚われている連邦兵

生きたままシートにしばりつけられている連邦兵。炎天下で水分補給も不可能な状態である。

カイ「連邦軍の奴ら、助けにも行かねえようじゃねえか」

相変わらずカイは冷笑的にではあるが的確な指摘をする。

救難信号が出ているのであるから連邦軍は当然救助に向かうべきである。救助を求めれば必ずやってきてくれるという信頼があるからこそ、兵士は戦場で命を懸けた行動をとることができるのだ。

連邦軍の救助がきていないという事実は連邦軍側の窮状を物語るものである。

アムロvsドアン

ドアン「やめるんだ」
アムロ「こ、ここはジオンが完全に制圧してる所じゃないはずだけど。ど、どういうことだ?」

ドアン「君と戦うつもりはない。おとなしく武器を渡してくれれば危害は加えない」
アムロ「ぶ、武器を渡せ?今ならそっちの好きにできるはずだ。好きにやったらいいじゃないか」
ドアン「戦いたくないから頼んでいるのだがな」

ドアン「そんな戦闘機でこのザクに勝てると思っているのか?」
アムロ「致命傷は無理としても、ミサイルで撃ち所さえ良ければ動けなくすることはできる。いくぞ」

この場面でアムロはなぜザクとの戦闘を選んだのだろうか。

見たところドアンのザクはライフルやバズーカを所持していないし、ヒートホークもない。攻撃手段が見当たらない。

コアファイターに乗り込めたのであるから、そのまま逃げてしまえばよかったのではないか。

ドアンのザクを撃退しなければならない事情も見当たらない。この時点では連邦兵もすで死んでしまっており、連邦兵を救助するためにドアンのザクが邪魔ということもない。

何か戦わなければならない事情があると仮定したとしても、少なくともホワイトベースに連絡し、応援を依頼するくらいのことはするべきだ。

唐突に始まったザクvsコアファイターだが、ドアンのザクに軍配である。

ポイントは巧みな岩の使い方にあったようだ。

助かったアムロ

アムロ「き、君は?」
ロラン「ロラン」
アムロ「こ、ここはいったいどこです?」
ロラン「ドアンと子供達の家よ」
アムロ「ドアン?」
ロラン「ククルス・ドアン。あなたを助けた人だけど」
アムロ「なんだって・・・!」
ロラン「ドアンはあなたを帰すつもりです。痛みが治るまでここでしばらく寝てらっしゃい」
アムロ「じ、冗談を言うな。それより僕のコアファイターはどこにあるんだ?」
ロラン「ドアンの見立て通りね。ドアンなら裏の畑に子供達といるわ」

ドアンに囚われてしまったアムロ。

さきほどの連邦兵と同じようにコアファイターにしばりつけられてしまうのかと思ったらベッドに寝かされていた。

ここでドアンがアムロを助けたのはなぜか。

その理由らしいものはこの回の中で描かれているのだろうか。それっぽい描写は見当たらなかった。

ドアン「少年、もう歩いても大丈夫なのかな?」
アムロ「どこにあるんですか?」
ドアン「君の戦闘機か。私はこの子達を守らなければならないのだ。いずれジオンの連中がここを見つけ、私を攻撃してくるだろうからな」
アムロ「・・・僕だって身を守る為には武器がいるんです。コアファイターを返してください」
ドアン「返したら君だって私を倒しに来るんじゃないのか?」
アムロ「あ、あなたみたいに子供を騙して手先に使うのとは違います。僕はジオンの侵略者と戦ってるんです!」
タチ「ドアンの悪口を言うな!」
チヨ「あたしたち騙されてなんかいないわよ!」
クム「そうだ、僕達の島を守って何が悪い!」
タチ「ドアンの悪口を言うなら帰れ!」
チヨ「そうよ、とっとと出ていって!」
アムロ「よ、よくも味方につけたものですね」
タチ「なんだと?お前」
ドアン「やめろ。無駄な争いはいかんといつも言ってるだろ」
タチ「だ、だけどこいつ」
アムロ「コアファイターは探し出しますから」

ドアンは「いずれジオンの連中が私を攻撃してくる」という。

また、コアファイターを返せというアムロに対して、ドアンは「返したら君だって私を倒しに来るんじゃないのか?」とも言っている。

だったらなぜアムロを助けるのか。さきほども書いたが、作中でその理由は語られていないように思われる。

さて、アムロはドアンに対して「子供をだまして」といっており、「ザクに乗るドアン=ジオン軍=侵略者=悪」というかなり単純な思考回路に陥っており、ドアンに対する敵意も明白だ。

そのドアンのことを子供たちが慕っているのが理解できないので、ドアンが「子供たちをだましている」と考えている。

他方、ドアンの方は「無駄な争いはいかんといつも言ってるだろ」とアムロに対する敵意は感じられない。

殴られるアムロ

アムロ「あっ?」
ロラン「思ったより意地っぱりなのね」
アムロ「偵察に来たのか?」
ロラン「あなたにはあの夕日の美しさもわからないみたいね」
アムロ「戦いに美しさなど必要ないよ。気を許せば負けるんだ」
ロラン「ドアンはね、あなたが思っているような悪い人じゃないのよ」
アムロ「子供達を騙すのが上手な様だね、ドアンって。(ぺしっ)あっ」
ロラン「何も知らないくせに勝手に決め付けないで!」
アムロ「そんな立派な男がなぜコアファイターを隠すんだ?」
ロラン「あなたにはあの子供達の気持ちがわからないの?いくら子供だからって、そんなに簡単に騙されてこの島までついて来ると思うの?」
アムロ「じゃあなぜドアンは子供達の面倒を見るんだい?」
ロラン「知りたければ自分で聞くのね。ドアンはあなたを見こんでいるわ。青臭いところが取れたらいい兵士になれるって」

ここのところよく殴られるアムロ。今回はロランに平手打ちを食らっている。ここでアムロが殴られるシーンをまとめておこう。

・1回目、2回目 ブライトから(第9話
・3回目 リュウから(第12話
・4回目 ロランから(今回)

次にアムロを殴るのは果たしてだれか!?

気の休まらない生活

ドアン「ジオンの姿はないか・・・ん?まだ起きていたのか」
ロラン「どうするの?」
ドアン「うん。あの少年の事か。今のままにしておく訳にはいかないさ、近くに本隊がいるだろうからね。彼がその気になってくれなければ面倒になる。こんな不安におびえる生活、できることなら私も早く抜け出したいが。すまん」
ロラン「あたしなら平気よ」

ドアンはジオン軍に命を狙われいる。

悪夢にうなされ、夜中に起きだしてはジオンの動向を探る。気の休まることのない生活だ。ドアンがこんな不安な生活を続けている理由はのちほど語られる。

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このシーンは実にエモい。子供たちを守るという責任感に押しつぶされそうになりながらも必死に生きようとするドアン。

あたしなら平気よ」といって、その後ろ姿をそっと見守るロラン。

ロランはドアンのよき理解者である。さらに想像力を豊かにすれば、恋心も抱いているのではないか。

しかし、ドアンはそうしたロランの気持ちには気づかない。いや、気づいているがそれを押し殺そうとしているのではないか。ドアンにとってロランたちはあくまで守るべき対象であり、恋愛だのというような対象ではないのだ。

ロランの恋は果たして成就するのか、今度公開される映画版で期待したい。

ジオン軍の追撃隊の襲来!

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ルッグンにぶら下がってザク登場。ザクの重量や空気抵抗などを考えた場合、ルッグンは本当に飛行できるのだろうか。

やはり無理やりザクを登場させるための演出といった感じがぬぐえない。

ザクは子供たちが狙ったり、家を壊したりとやりたい放題だ。

その後、若干遅れてホワイトベースも到着。アムロはガンダムに換装する。

演技が人間に・・・

ドアン「待て、こいつは俺に任せろ」
アムロ「しかしあなたにはたいした武器が・・・」
ドアン「モビルスーツの格闘技というのを見せてやる、よーく見て憶えておけ」

このシーン、ザクに「待て」と制止されびっくりしたガンダムが両手を広げている。ガンダムの演技が完全に人間のものである。

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また、ドアンのザクがわき腹を撃たれるシーンでも、ザクがわき腹を押さえ膝をつき、いかにも痛がってますという演技をしている。これも完全に人間の演技であり、ロボットの演技ではない。

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これまでのロボットによるリアル戦争路線からは考えられないような演出である。

ドアンパーンチ!

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ドアンのザクのパンチがボディに決まった。勢いで爆発するザク。ここでザクが爆発してしまうのは、ザクに設計上の欠陥があるのではないかと思ってしまう。別の決着の付け方の方がよいだろう。

脱走兵

ドアン「教えてやる、少年達。子供達の親を殺したのは、この俺さ。俺の撃った流れ弾のためにな。ジオンは子供達まで殺すように命じた。だが、俺にはできなかった。俺は子供達を連れて逃げた。俺の命に代えてもこの子供達を殺させはしない!」

ドアンは脱走兵だったようだ。

敵前逃亡(てきぜんとうぼう)とは、兵士などが軍事遂行命令を受け、戦闘継続可能な状態にもかかわらず、戦わずに逃亡すること。この行為は重大な軍規違反であり、重刑になる可能性がある。
多くの国の軍隊では、戦闘を放棄し、逃げ出した部下を上官がその場で射殺する即決銃殺刑を、部隊の規律と秩序を維持するために認めている。他の者が続いて逃げ出したらその戦線は総崩れとなり、敵に突破されるためである。ただし、認められている国でも実際に執行されるかどうかは地域や部隊によって大きな差がある。
また敵前逃亡した者が、交戦相手に降伏・捕獲・保護など身柄拘束された場合は当然に状況を尋問され、(中略)自軍にとって大打撃を与える存在となる事が、敵前逃亡に対する重刑の根拠である。(wikipedia-敵前逃亡

ここでも説明されるとおり、敵前逃亡は重罪である。戦線を危険にさらすだけでなく、敵方に捕えられれば自軍の機密が漏洩してしまうからだ。

ドアンの島にやってきたザクとルッグンは、ドアンからジオン軍の機密が漏洩することをおそれ、それを防止するためにドアンを殺そうとしているのだろう。

ドアンは逃亡前はそれなりの地位にあり、ジオン軍の重大な機密にも接触できるような立場にあったと考えられる。

「戦いのにおい」とは何か?

ドアン「奴らは私が生きている限り追撃の手を緩めないだろう。私がいる限りこの子供達にも危険がつきまとう。困ったものだ」
アムロ「違います、あなたがいるからじゃありません。あなたの体に染み付いている戦いのにおいが、追跡者を引きつけるんじゃないんでしょうか?
ドアン「戦いのにおい?」
アムロ「ええ、それを消させてください、ククルス・ドアン」

「あなたの体に染みついた戦いのにおいを消させてください」といってガンダムに乗りこむアムロ。

何をするのかと思っていたらザクを海へ放り捨ててしまった。「戦いのにおい」とはザクのことだったのだ!

ドアン「こら、やめなさい。あのお兄ちゃんを怒っちゃいけない。あのお兄ちゃんのやったことはとてもいいことなんだよ。ロラン、なかなかいい少年じゃないか。そう思わないか?」
ロラン「え、ええ」

「なにするんだ!」と怒る子供たちをなだめ、「いい少年じゃないか」とアムロの行為に納得するドアン。

とてもハートフルで人間味あふれる熱いシーンである。

しかし、意味が分からない。

さっき判明したようにドアンは脱走兵である。ジオン軍がドアンにこだわるのはドアンからジオン軍の機密が漏れることを危惧してのことであろう。

アムロはザクこそがジオン軍の追撃を誘引する原因となっていると考えたようだが、ザク1機をもって兵士が脱走したからといって、そのザクを破壊したり取り戻したりするためにジオン軍が動くとは考えにくい。

つまり、ジオン軍にとって憂慮すべきなのはドアンであってザクではない。「戦いのにおい」という表現を用いるとすれば、そのにおいの発生源はドアン自身である。

ゆえに、ここでザクを海に捨ててもドアンの死亡が確認されない限りはジオン軍の追撃はやまないはずだ。したがってアムロの行動は全くの無意味である。

いや、それ以上にドアンたちにとって害悪といってもいいかもしれない。

今回のジオン軍のザクとの戦闘でドアンたちは住むべき家を失った。今後もこの島で生活を続けるのであれば、家屋を再築しなければならない。その際、ザクのような汎用型のロボットがいるのといないとのでは大違いである。

ドアンは「いい少年じゃないか」などと言っている場合ではないはずだ。「何してくれてんだ!」と子供たちと一緒にガンダムに向かって石を投げるべきである。

もっとも、この時点でアムロのドアンに対するまなざしはかなり変化している。悪だと考えていたドアンは、実はそうではなかったことに気づいた。だからこそアムロはザクを海に放り捨てるという選択肢に思い至ったのであろう。

第15話の感想

この回は、作画もさることながら、脚本や演出がどうしても気になってしまった。

ロランやドアンが指差しながら「あなた」とか「わたし」などと言っているのは日常の動作としては不自然である。

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また、待てと制止されて両手を広げるガンダムやわき腹を抑えるザクなど、ロボットに人間を演技をさせてしまっている。

唐突に始まったドアンのザクとコアファイターとの戦闘も、悪のロボット・ザクが登場したから正義のアムロがやっつけようとした、という風に理解すれば非常にしっくりくる。

しかし、これは「機動戦士ガンダム」が追求しているロボットのリアル戦争ものではない。

その他、細かな「おや?」と思う部分を挙げていけばキリがない。

しかし、批判だけしていてもあまり楽しくないので、ここでこの回で描こうとしていたものは何かを考えてみたい。

私が考える限り、それはやはり「リアルな戦争」とそこでの「アムロの成長」であると考えられる。

ドアンという脱走兵を描くことで、軍隊という究極の組織体であってもその中で実際に動いているのは人間であり、様々な葛藤・対立があることを示そうとしている。

実際、Wikipedia情報では、ベトナム戦争時の1971年、アメリカ軍で3万3000人を越える脱走兵が出ている。これは総兵力の実に3.4%にも及ぶかなりの割合だ。

イラク戦争でも、2003年と2004年の2年間だけで5500人以上の脱走兵が出ているという。

第2話で、兵士は戦場で敵兵を撃つことができないと述べたのと同様に、兵士は脱走するものというのが戦争のリアルである。

そうした脱走兵ドアンとアムロとの交流を描き、そこでアムロがどう成長するのかという点もテーマの一つだ。

ドアンはミスによって子供たちの親を殺してしまった。子供を殺せという上官の命令に反してドアンは敵前逃亡をはかる。ここまでドアンはジオン公国のために命をかけて戦場で戦っていたはずだ。しかし、この瞬間ドアンが命を懸けて守る対象が変わったのである。

では、アムロは何のために戦っているのか。

ブライトに殴られたり、毎日毎日同じ訓練を繰り返したり、戦場で怖い思いをして病気になったり、誰かの「仇」になってしまったり、そんな大変な思いまでしてアムロがガンダムに乗るのはなぜなのか。

ジオン軍に命を狙われる生活を続けるドアンを見て、アムロは何を考え、どう変化し、どう成長するのか。

そうしたことを問いかけ、アムロや視聴者に考えさせる回になるはずだったのではないか。

現に、アムロは当初はドアンをジオン軍と同視し、完全な悪だと考えていた。しかし、そうした単純な見方が誤りであったことに気づき、「本当の悪とは何なのか」をアムロなりに考えザクを海に投げ捨てている。

ドアン達と過ごしたのはほんの一泊二日にすぎなかったが、そのわずかな時間でアムロは確実に成長したのだ。

今回は、これまでのレビューではほとんど書かなかった批判が中心になってしまった。しかし、脚本と演出と作画さえよければ第15話「ククルス・ドアンの島」は機動戦士ガンダムの中でも屈指の神回となったのではないかと、分析しながら考えた次第である。

今度映画化される際にはこうした点を乗り越えた名作となっていることを切に願うばかりである。


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