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突きつけられる戦争の現実!!やっぱりガルマは無能だった!?~機動戦士ガンダム 第8話「戦場は荒野」感想

低空飛行のホワイトベース

冒頭いきなりホワイトベースが稜線にぶつかるシーンから始まる。ホワイトベースが低空飛行をしていることを示す描写だ。

なぜホワイトベースが稜線にぶつかってしまうほど低空飛行をしているのかについてはのちほどシャアが説明してくれる。

アムロと両親の関係

ペルシア「コー君、あなた男の子でしょ。このくらいのことで泣かないの。ごらん、これが地球よ。ここがあなたのお父様の育った所なのよ。お父様はあなたがいくらでも威張れるような立派な方だったの」
アムロ「母親ってみんなあんなもんかな?」
フラウボウ「アムロはお母さんにずっと会ってないのよね。でも」

ペルシアとコーリーの会話を見て、母親に思いを馳せるアムロ。

アムロと父親の関係は第1話で描かれていた。

アムロとテム・レイは会話もほとんどなく、淡白な親子関係だった。

では、アムロと母親の関係はどうか。アムロの母親に関する情報は第5話でわずかに出てきていた。

アムロ「母は地球にいるはずです。父はサイド7で行方不明になりました」(第5話)

続くフラウボウのセリフ「アムロはお母さんにずっと会ってないのよね。」とあわせて考えると、相当長期間アムロは母親と会ってなさそうだ。「地球にいるはず」というアムロの言い方からして安否もよくわからないのではないか。

今回の戦争によって安否不明になったのか、もともと疎遠だったのかは分からないが、アムロと母親との関係もかなり稀薄である。

そう考えると、アムロは両親ともに関係は稀薄で、孤独で機械いじりばかりしている少年だったのだろう。

面倒見がよくおせっかいやきのフラウボウがいなければ、誰とも交流することのない孤独な少年だったのではないか。

その意味で「機動戦士ガンダム」という物語は、ガンダムにのることによって自分の役割や居場所を見出したアムロが孤独からいかに脱却し人間関係を構築していくのかという物語でもあるのだろう。

ミノフスキースクリーンの上に妨害網?

シャア「木馬がなぜあんな飛び方をしていると思う?」
ガルマ「我々のレーダーから逃れる為だろ?」
シャア「違うな。ミノフスキースクリーンの上に地形を利用した強力な妨害網を引くつもりだ。こうだな。となれば、ミノフスキー粒子の効果は絶大だ」
ガルマ「どんなに強力な誘導兵器も使わせんということか」

ホワイトベースが低空飛行をしている理由をシャアが説明する。ただ、シャアが図解までしてくれているがいまいちよくわからない。

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ミノフスキー粒子によってレーダーによる索敵やミサイルのレーザー誘導が困難になる。これまで何度か描かれてきたのでこれはわかる。

シャアの言う「ミノフスキースクリーンの上に地形を利用した強力な妨害網を引く」というのはどういうことだろうか。そうした強力な妨害網があれば「どんな強力な誘導兵器も使えなくなる」とはどういう理屈なのかいまいちよくわからなかった。

とにかく、山脈の間を低空飛行しながらミノフスキー粒子をまき散らせば攻撃しにくい=ホワイトベース有利な地形ということだろう。

なので、シャアは自分たちに有利な地形で待ち伏せしようと提案する。

ブライトの作戦

ブライト「これが我々のいるグレートキャニオンだ。ホワイトベースの現在位置はここだ。そして、敵はおそらくこのミッド湖あたりに戦力を結集してくるだろう。ここが我々の最も不利な地点だからだ。ガンダムの働き如何で我々の運命が決まる」

一方のホワイトベース。ブライトが地形とジオン軍の行動を分析、図解してくれている。

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ホワイトベースの現在地は左右に山脈が走っており、シャアの言う「妨害網」が有効な地形だ。

他方、ミッド湖付近は開けた平地だ。ここでは「妨害網」が機能しないので、ジオン軍が襲撃を仕掛けるとすればこの地点だとブライトは読んでいる。

シャアの作戦を完全に見抜いているブライト。今回は冴える。

しかし、作戦を見抜いたからといってホワイトベースが危機的状況にあることに変わりはない。ここをどう切り抜けるのか。

ここでブライトが「ジオンに一時休戦を持ち掛けて避難民を降ろす」ことを提案。ここからブライトの作戦の内容が徐々に描かれる。

なお、ブライトのいう「グレートキャニオン」が「グランドキャニオン」のことだとすれば、ホワイトベースの現在地は北アメリカ大陸ということになる。徐々に物語の状況が見えてきた。

やはりガルマは無能か?

ガルマ「どう思う?シャア。避難民を降ろしたいからという休戦理由は?」
シャア「気に入りませんな。しかし・・・」
ガルマ「ん?」
シャア「敵がどういうつもりか知らんが、こちらも時間が稼げる」
ガルマ「それで?」
シャア「足の遅い陸上兵器を今の内に補強すれば」
ガルマ「我々の勝利の確率は高くなる訳か。よし」
シャア「(どうもお坊ちゃん育ちが身に染み込みすぎる。甘いな)」
シャア「(これで勝てねば貴様は無能だ)」

ホワイトベースからの休戦提案について検討するシャアとガルマ。ただ考えているのはもっぱらシャアで、ガルマはシャアに「どう思う?」とか「それで?」と丸投げ状態。

「地球方面軍司令官ガルマ・ザビ大佐」を拝命してる以上、この軍隊の司令官はガルマである。それがシャアにおんぶにだっこの状態だ。シャアが「お坊ちゃん育ち」「甘い」「無能」などと毒づくのも無理はない。

第6話では、ガウ攻撃空母で陣頭指揮を執っていたガルマ。作戦自体は失敗に終わったが、ガンダムを「今度の大戦の戦略を大きく塗り替える戦力だ。」と正確に分析している。部下からも疎まれているような描写もない。ここからガルマはいわゆる「お坊ちゃんキャラ」とは一線を画す人物なのではないかと分析した。

しかし、第7話ではコアファイターの射出の目的を即座に見抜いて出撃するシャアとは対照的に、ガルマはその様子をほぼ見ているだけだった。

今回も前回と同様シャアが主導権を握っており、ガルマはシャアの分析・判断に従っているだけだ。

比較対象がシャアになってしまっている点は可哀そうではある。しかし、それでも前回(第7話)と今回の体たらくでは、ガルマの実力はさほど評価できるようなものではなさそうだ。

そうであれば部下から「ガルマに任せていたら勝てる戦も勝てない」とか「実力もないくせに偉そうに命令しやがって」などと疎まれていてもよさそうである。むしろ、こういったお坊ちゃんキャラが登場する場合、そういった描かれ方をされるのが一般的とさえいえる。

しかし、そうした描写は相変わらず一切ない。ガルマは人心掌握の点では何か天賦の才があるのかもしれない。

なかなか本質をつかみきれない人物である。

アムロはコロニー生まれコロニー育ち

アムロ「もう引き返せませんよ。いいんですか?」
ペルシア「覚悟はできてます。どんな事があってもこの子を大地で育ててみたいんです。こんな気持ち、あなたにはわからないでしょうね」
アムロ「地球には住んだことはありませんから」

ここでアムロが地球には住んだことがないことが判明。宇宙生まれ宇宙育ちということか。サイド7に父親と住み、母親は地球。複雑な家庭環境が窺える。

付け馬

フラウボウ「ん?あれがつけ馬っていうのね。」

ガンペリーに追従してくるジオン機をみてフラウボウがいう。これまたすごい言葉が出てきた。

つき‐うま【付馬】
〘名〙 遊郭や飲み屋などで、客が代金を払えない場合、その客につき添ってその代金を取り立てにいくことを仕事としたもの。つけうま。うま。

「機動戦士ガンダム」を見ていたちびっ子たちには到底通じなかっただろう。自分も落語でしか聞いたことはない。

ジオン兵との交流

コム「機長、子供が手を振ってますよ」
バムロ「ああ」

ジオン兵に無邪気に手を振るコーリー。ニッコリして手を振り返すジオン兵。なんともなごむシーンだ。

なんでもないシーンのようだが、このシーンこそがこの回のもっとも重要なシーンだろう。その意味はのちほど述べる。

ガンペリー不時着

ジオン兵「老人4人、女2人、子供3人の計9人です」
シャア「いなかったようだな」
ガルマ「誰が?」
シャア「戦闘員を潜り込ませるつもりかと思ったのさ」
ガルマ「ははははっ、我々も監視しているんだぞ。できる訳がない」
シャア「もっともだ」

何度かシャアがおやっと疑うシーンがなんどか出てくる。しかし、すべてスルー。知恵比べはブライトに軍配だ。

セント・アンジェに向かうペルシア親子

バムロ「ん?あの親子はどこへ行くつもりだ?この先は何もないぞ」
バムロ「もういいだろう。ちょっと寄り道をするぞ」
コム「あの親子が気になるんでしょう。怒られますよ?」
バムロ「ガルマ大佐はまだお若い。俺達みたいな者の気持ちはわからんよ。よし、行くぞ」

避難民から離れるペルシア親子。その行方が気になり後を追うジオン兵。

ここでジオン兵がペルシア親子の後を追ったのは、窓越しに手を振りあうという交流があったからである。わずかでも心を通わせた相手の安否が気になってしまったというなんとも人間的な描写である。

アムロには理解できないジオン兵の行動

アムロ「無線は使うな!敵のパトロールがあの親子の方へ行った、気にならないのか?」

ルッグンがペルシア親子の方へ行ったのを見て、さらにその後を追うアムロ。

アムロはジオン兵があの親子のことを殺そうとしていると考えているのだろう。アムロにしてみればジオンはこれまで殺し合いをしてきた敵だ。そう考えるのも無理はない。

アムロはビームライフルを構えてルッグンを撃墜しようとする。ところがルッグンから投下されたのは支援物資だった。それを見てアムロはジオン兵が親子を攻撃する意志がないことをようやく理解する。

「見つけなけりゃいいのに」ーアムロの葛藤

アムロ「気付いてくれるなよ・・・」
バムロ「光だ。確認するぞ。ミサイルセーフティ解除」
アムロ「くっ、発見されたか」
バムロ「連邦軍のモビルスーツか?」
アムロ「見つけなけりゃいいのに」

「見つけなけりゃいいのに」と口走ったアムロ。ペルシア親子へ支援物資を投下したジオン兵の人間性に触れ、本心では殺したくないと逡巡する。

それでもここで撃墜しなければ作戦自体が失敗してしまう可能性もある。軍事行動としては撃墜以外の選択肢はない。

ビームライフルを撃つガンダム。ルッグンに命中はしたものの致命傷には至らず、クルーは無事脱出した。アムロの内面の葛藤を表しているかのようだ。

ガンキャノン出撃!

カイが単独で出撃するのは今回が初めてである。これまでカイはガンタンクに乗ったことはあるが、ガンタンクは2人乗りで攻撃はハヤトが担っていた。

マゼラアタックの砲口がまっすぐ自分の方に向けられている。初めて味わう攻撃目標にされる恐怖である。

「俺だって、俺だって」と半べそをかきながらも攻撃するカイ。

アムロ・ハヤトはホワイトベース内での地位を確立しつつある。しかしカイはそうではない。むしろ冷笑的な態度からホワイトベース内では浮いた存在になってしまっている。

「俺だって」は「アムロやハヤトのように自分だって戦えるんだ!」というカイの心の叫びである。

今回カイがガンキャノンで出撃することはホワイトベースの中での地位を得るための通過儀礼なのだ。

恐怖のあまりがむしゃらに攻撃しまくって早々に弾切れになってしまっている点も象徴的だ。アムロと全く同じである。

今後、カイはアムロと同じように様々な困難にぶち当たりながら成長していくのだろう。そういう未来を思わせるシーンである。

ガンダム登場!

ホワイトベース後方からガンダムが登場。ブライトの作戦が決まった。

この瞬間カイが「アムロ!」と叫び、ブライトも一瞬安堵の表情を浮かべる。ガンダムが頼れる存在になっていることを示している。

アムロ「いくらガンダムでもあれだけのザクを防げるか?」
カイ「ヘッ、俺にだってこれくらいはな」
アムロ「カイ!」

背後からガンダムを狙うザクをガンキャノンが突き落とす。

アムロが「カイ!」と呼ぶシーンは先ほどのカイの「アムロ!」と対をなす。アムロとカイの心が初めて通じ合ったシーンといってもよいだろう。

やっぱり無能だったガルマ。

ガルマ「・・・こ、このような失態を姉上になんと言って報告したらいいのか・・・」
シャア「挽回するチャンスはまだある。それに、我々指揮官は最前線で士気を鼓舞しなければな。次は私も行かせてもらおう」
ガルマ「た、頼む・・・」

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何も出来ず茫然と佇むだけのガルマのアップに、ジオン軍壊滅の報が飛び交う。「姉上になんと報告したらいいのか」と、心配するのは自分のメンツばかり。

司令官がこんな弱音を吐いているようでは士気にかかわる。

すかさず「我々指揮官は最前線で士気を鼓舞しなければな」と言ったシャアはさすがだ。こういう時こそ指揮官としての力量が試されるのだが、ガルマはぐだぐだである。

やはりこいつは無能だった。

第8話の感想

今回は敵味方を超えた交流が随所に描かれている。

しかし、そもそも「敵」・「味方」とはなんだろうか。敵と味方を分けるものはただの偶然にすぎない。

アムロやフラウボウも生まれた場所や住んでいる場所が違えばジオン公国の国民だったかもしれない。ジオン兵もまた同様である。末端の人間同士が戦闘行為を行っているが、そこに本質的な対立は何もない

ペルシア親子とジオン兵との間で窓越しに手を振り合うというわずかながらの交流があった。こうした交流が成立するのも、末端の人間同士は本質的には何も対立していないからである。

こうしたコミュニケーションが相手も我々と同じ人間だという当たり前だが忘れてしまいがちな事実を想起させる。そしてそれが葛藤をもたらす。相手を人間だと思ってしまった瞬間に人は撃てなくなるのだ。

ペルシア親子を助けるジオン兵の人間性を目の当たりにしたアムロは、このジオン兵を撃てなくなった。第2話で、アムロが逃げるシャアたちをなかなか撃てなかったことにも通じる。

自分を見つけずそのまま過ぎ去ってくれと祈ったが、運悪くルッグンはガンダムを発見してしまう。「見つけなけりゃいいのに」というセリフはアムロの葛藤をこれ以上ないくらい的確に表現している。

今回の戦闘の舞台となったのは「荒野」だが、そこにはセント・アンジェという街があり人々の生活や営みがあった。それがわずか1年で様変わりしてしまった。

去り際、振り返りながらここがセント・アンジェのあった場所だと言うジオン兵の胸中はどのようなものだろうか。ペルシア親子の故郷を破壊し荒野に変えたのはほかならぬ戦争であり末端の兵士の自分たちである。

懺悔の気持ちもあるだろう。他方、それでも末端の兵士としてやるべきことはやらねばならない、戦争とはそういうものだという割り切りの気持ちもあるはずだ。諦めといったほうが近いかもしれない。

この回でまざまざと見せつけられるのは戦争のリアルである。敵・味方の二元的な思考では到底片付けられない複雑な人間模様が描かれている。

アニメを見ているだけでもつらいと思う場面もある。自分が当事者になることがあればどれほど苦悩するだろうか。

さて、次回はガルマ自ら出撃するようだ。初登場から私の中でガルマの評価は下がりっぱなしである。そろそろザビ家の一員としての矜持を示してもらいたいものだ。

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